「あ、風早！」
明るい日差しの降り注ぐ天鳥船の楼台に、ひときわ晴れやかな声が響き渡る。その声の主、千尋の姿を認めた男達は、三者三様の態度で彼女を迎えた。
「これはこれは我が君、相変わらず麗しい。あなたの可憐なお姿は、私の心の黒雲をすっかり取り払ってくださいますね」
「――君か」
「ええと……。すみません。お話の邪魔をしてしまいましたか？」
寡黙な剣士に少女がお伺いをたてる。
「いや、気にするな。もう終わった」
「ええ、まったくくだらない話でした。あなたがそのようにお顔を曇らせる必要など、どこにもありません」
「…………」
「ええと……そうなんだ？」
饒舌な軍師に少女は曖昧にうなずいた。
言葉が少なすぎる忍人、かたや過剰すぎの柊。それぞれのテンポにはだいぶ慣れたつもりだったが、同時に存在すると対応に困る。存在感という点ではそれぞれ甲乙つけにくいため、なおさらだ。そんなことを感じて、千尋がちょっと言葉につまっていると、すぐに穏やかな声が響いた。
「大丈夫ですよ、千尋。どうということもない、雑談でしたから」
「風早……」
「それより、俺に何か用事でしたか？」
「あ、ごめんね。別に用ってほどじゃないの。ただ、このあたりを散歩をしていたら姿が見えたから……あっ」
ばつの悪そうな千尋に、忍人がどこか困ったように口を開く。
「……。今日は、久しぶりの休日だと聞いている。そうでなくとも、別に俺に気兼ねする必要などないだろう」
「そ、そういうわけじゃ……。でも、みんなは普通に働いているんだよね。やっぱり、私もふらふらしないで――」
「おやおや、困りましたね。そのようなことをおっしゃられては」
わざとらしい落胆の声が響く。今にも休暇を取り下げてしまいそうな少女に苦笑して、風早が優しく取りなす。
「まあ、こう人数が多くなってくると、休みも全員一緒というわけにはいきませんからね。気にするなというのも無理かもしれません。でも、千尋がしっかり休んでくれないと、ある意味、俺たちも困るんですよ」
「どういうこと？」
「もしあなたがこの船で、必要に応じていつでも休むことができる状態なら、俺たちもきちんと交代で身体を休めることができる。誰だって、いつもいつも気を張っているわけにはいきませんからね」
「――じゃあ、風早たちも休めるの？」
「ええ」
まだ不安げな千尋を眺め、柊がいつものように大げさに口を挟む。
「しかし我が君の慈愛のお心には、いつもながら驚かされますね。さすがは我が主です」
「……柊に言われると、なんだかごまかされているような気がするよ」
「我が君、あまり私につらくあたらないでください。この身が凍えてしまいそうです」
反論する気も失せて千尋が黙り込む。もしかして、これが彼の手、柊の意図するところなのではないか。そんな考えがふと少女の頭をよぎる。
「千尋は心配性ですね。でも大丈夫、俺たちはあなたより体力もありますし。それにできない無理はしませんから。ね、忍人」
「……あ、ああ。そうだな」
いきなり話を振られた忍人が、己の言葉を噛みしめるように頷く。
「忍人さん。無理はしないって。……本当ですか？」
「俺たちの心配より、君にはもっと他にすることがあるだろう」
「……でも、」
でも、心配なものは心配です。押し問答になるのを恐れて、千尋は言葉の続きを飲み込んだ。愁いに沈む少女の瞳を内心痛ましく思いながら、柊が柔らかくほほえむ。
「我が君。恐れながら、将において常に戦に備え心身を調えおくことは、呼吸することと同義にございます。当然姫もご存じかと思いますが、葛城将軍も風早もひとかどの武人――。なれば、これ以上のご厚情はご無用かと」
過度の心配は、彼らの武人としての誇りを傷つけることになりますよ。
どこか自分を試すような柊のまなざしを感じて、千尋は思わず彼をにらみ返した。
「ふふ。やはり、あなたは聡い御方だ。それでこそ――」
「わかった、もういい」
全てを見透かされているような笑みが癪にさわった。悔しげにうつむく少女に、風早がおっとりと声をかける。
「千尋、どうしました？」
「ううん、なんでもない。でも……わかったよ。ただ、みんな、本当に無理はしないで。じゃあ、私、もう行くね」
「あっ、千尋？」
走り去る小さな背中を見つめ、柊がことさらわざとらしく嘆いてみせる。
「あぁ、行ってしまわれました。寂しいですね。――我が君がいらっしゃらないと、まるでここも、火が消えたようだ」
「他人事のようによく言えるな。お前が原因だろう」
「おや……そうでしたか？」
しらばっくれる柊に、忍人が皮肉な笑みを浮かべて黙り込む。内心やれやれと思いながら、風早が場を取りなす。いつもの光景だ。
「まあまあ、二人とも。もうそのへんにしておいてください」
「……まあいい。何にせよ、せっかくの休日にまで、俺たちと顔をつきあわせている必要もないだろう。それにこの先戦が激しくなれば、総大将がのんびり休んでいる暇もなくなる――。かといって、今が決して余裕があるわけではないがな」
「忍人……。そうだね、こんなにいい天気なんだから、千尋も今日は戦のことは忘れて、のんびりと羽を伸ばしてくれるといいんですが」
微妙にかみ合わない会話はいつものことだ。忍人が苦笑まじりに言う。
「風早、相変わらず、君は甘いな」
「弱ったな……。そんなに、甘いですか？」
「ああ。いや、だが……」
一瞬ためらって、そのまま忍人は言葉を切った。
謎めいた笑みを浮かべ、自信たっぷりに柊が言霊を響かせる。
「なにも心配はいりませんよ。我が君の未来は、いつも光に満ちている」
「ええ、そうですね。俺がお育てした姫に間違いはありませんから」
脳天気ともとれる同門の台詞に眉一つ動かさず、最年少の忍人が密かな決意を込めてつぶやく。
「俺は――俺にできることをするだけだ。失礼する」
足早に去っていく姿を一瞥し、柊はやれやれとため息をついた。
「相変わらず、愛想がありませんね、あの男は」
「ははは、でも忍人の言うことはもっともですよ。俺も負けていられませんね。――柊、あなたもそうでしょう？」
「君はいつも前向きですね、風早。私はいつも変わりませんよ」
何を確かめるでもなく視線を交わし、二人は別々の方向へ歩き出した。
男達は三者三様の思いを抱き、それぞれの役目へ舞い戻っていった。
終