SS.

小さな姫は供を連れ、宮からすこし離れた草原まで足を伸ばしていた。
水汲みに離れた風早を待つわずかな間、この日偶然姫の散歩に遭遇し、半ば強引に合流した柊が、少女の退屈を晴らすように言った。
「そうだ。二ノ姫はご存じでしたか？　スギナもツクシと同じように節を切って遊ぶことが――」
「遊ぶのはいいけど、ツクシのときみたいなズルはなしだよ？」
初夏の野原には、草花が青々と生い茂っている。そこに行儀良く座り込んだ二ノ姫が、柊に抗議するように口を尖らせた。

「おや…。この数ヶ月の間に、姫もすっかり大人になられましたね。しかし恐れながら、あれはズルではなく作戦ですよ」
まだ少し肌寒い春のある日、二人はツクシを使った同様の遊びをしたことがあった。そしてそのとき柊は、いくつかあるツクシの節を全部折って、正解率を100%にしておくという細工がばれ、姫に「そういうズルは嬉しくないもん！」と、泣きべそつきで大顰蹙を買ったのだった。

「手加減するなら、もう柊とは遊んであげない」
陽気に声を弾ませる柊に、千尋は拗ねた様子でそっぽを向いた。
「それは困りますね。たまに宮の外へ出てこられた姫に、こうしてお声をかけていただけるのは、私の数少ない貴重な喜びであり、かつ大きな楽しみでもある。ですから姫、どうかお許しくださいませんか。そうでなければ、私の心はきっと寂しくて凍――」
「節を切って良いのは、一箇所だけだよ？」

小さな姫は永遠に続きそうな柊の言い訳を遮って、手近なスギナを一本、根元からむしって差し出した。柊が瞳を輝かせ、それを受け取る。
「ありがたき幸せ。では、準備をいたしますので少々お待ちください」
「なら、私は目を閉じているね」
言いながら律儀に顔も伏せる姫の愛らしさに、柊は僅かに口元を緩ませた。
「お待たせしました、二ノ姫。どうぞ、こちらをご覧ください」
ほどなく柊は明るい声を響かせた。

＊＊
「―ふふ、随分長くお考えですね。おわかりになりませんか？」
姫はスギナをじっと見つめて固まっていた。柊がどの節を繋いだのかさっぱりわからない。
「ま、待って！　答えを言うのは。――まだ、もう少し、いい？」
千尋は顔を赤らめて遠慮がちに尋ねた。
「もちろんです、どうぞご存分に。それにしても、せっかくこうして熱心に見つめていただけるのならば、姫にはこのような草でなく、この私を見ていただきたいものですが。口惜しいですね」
「ええと、ありがとう……」

柊のよくわからない愚痴は聞き飛ばして、千尋は場つなぎに待ってもらう礼を言った。青年のやるせないため息が響いた。
「ああ、やはり姫はつれない方だ」
「いいかげんにしてください、柊。本気で怒るよ」
不意に暖かい風が姫の髪を撫でていった。スギナが何かを知らせるように揺れている。千尋が振り返ると、竹筒の水筒を両手に握りしめた風早が、呆れ顔で立っていた。

「あ、風早。おかえりなさい！」
「すみません、お待たせしてしまいましたね」
風早は申し訳なさそうに言うと、水の入った竹筒を姫に手渡した。その水をおいしそうに飲み始めた千尋を一瞥し、柊が澄まし顔で口を開いた。
「どういう意味ですか？　尋ねずに、君の本気とやらを見せていただくのも一興かも知れませんが」
「ズルはよくないよ。俺にならともかく、姫を相手にそういうことは止めてください」
珍しく語気を強くする風早に気付いて、姫が驚いたように顔をあげた。

「どうしたの、風早？　ズルって何？」
「君こそ困りますねぇ。そうやってありもしないことを吹き込まれては、私が姫に疑われてしまうでしょう」
柊は皮肉に笑って見せると、風早の後にさっと隠れてしまった姫へ切々と続けた。
「ああ……姫、どうか信じてください。私は先ほどいただいたご命令に従い、決してズルはしておりません」
「――そう、なの？」
ツクシの時に騙された柊のズル、もとい作戦を忘れていない姫は、明らかに訝しげだ。
「ええ。我が君の御名に誓って」
「で、でも――。風早だって、私に嘘を言ったりしないはずよ？」
従者をかばう姫の言葉に、風早は安心したように頬を綻ばせ、柊は一瞬つまらなさそうに顔をしかめた。
「確かにおっしゃる通り、私も風早は嘘をついていないと思いますよ。ですが姫、悲しいことに彼は私を誤解している」
「……誤解？」
柊の声が真剣味を帯びていることに気付いて、千尋は彼をじっと見つめ返した。一瞬の沈黙の後、風早のため息が響いた。

「そこまで言うなら。柊、そのスギナを俺に見せてもらえますか」
「しかたありませんね。無粋な邪魔が入ったおかげで姫にお答えいただけず、私をご理解いただけなかったのは残念ですが」
「ええと――あのね。柊がそんなにこの遊びが好きなら、また別のスギナでやり直しをしよう？　それならいいでしょう？」
物欲しそうな柊の視線を感じて、千尋はなんとなくそんな提案をするはめになった。それを聞くやいなや、瞳を輝かせてスギナを差し出してきた柊を見て、風早は内心こっそり頭をかかえた。

＊＊
スギナを受け取った風早は、その先端をつまんで風に揺らして見せた。当然、切った節のところから下半分が、地面に落ちるはずだが――。

「……どういうこと？」
姫が表情を曇らせた。スギナは二つに千切れることなく、まだ風に揺れている。風早はこうして柊がスギナの節を切っていなかったことを証明してみせると、呆れたように言った。
「いくら遊びでも、こういうのは人が悪いよ、柊」
「やっぱりズルしてたの！？」
悲しげな姫の声を聞きながら、しかし風早は同時に内心首を傾げてもいた。柊は何を考えているかわからないところはあるが、千尋に対する彼の敬意は疑いようがない。それにこんな他愛のない遊びで、彼女をからかって悲しませる必要があるだろうか、と。
物言いたげな友人と姫から目をそらし、柊は沈んだ声を響かせた。

「ああ、姫、私をお疑いですか。寂しくてこの身が凍えてしまいそうです」
「違うと言うならきちんと説明して。スギナを切らなかったことも、柊の『作戦』なの？」
柊の落胆しきった様子に千尋は顔を上げて、一瞬ためらった後きっぱりと言った。
「二ノ姫――」
千尋が思ったよりずっと冷静だったことに驚いて、二人の青年が声を揃える。
「さすがは二ノ姫、やはり賢くていらっしゃいますね」
「ごまかさないで」
途端にふくれっ面になった姫を見て、柊は珍しく声をあげて笑い、すぐにその表情を生真面目に引き戻した。
「姫。私に釈明の機会をお与えくださったこと、深く感謝いたします。そして作戦かとお尋ねの件ですが、違います。あれはちょっとした悪戯ですね」
「悪戯……！？」
まるで悪びれずに言った柊に、千尋は再び眉をつり上げた。

「ふふ。スギナに見入る二ノ姫のお姿が、あまりに可憐でしたので、つい。――おや、お怒りでしょうか？」
「当たり前でしょう！　それにやっぱりそういうのもズルじゃないの？」
「困りました……。私には、これっぽっちもそんなつもりはなかったのですが」
怒り心頭の千尋に、柊はばかにしおらしく答えた。睨み見つめあう二人を取りなすように、風早が「まぁまぁ」と口を開いた。

「柊、もうその辺で。姫をからかうのは不遜だから、控えてください」
「ああ、やはり君は誤解していますね。私は、」
「そうかな。あなたの意図はだいたいわかっていると思うよ」
いつもの調子の柊を遮って、風早は幼い姫に曖昧な笑顔を作ってみせると、淡々と続けた。
「二ノ姫、俺は『明らかな反則でなければ、非難される筋合いはない』という考え方は、あまり好きじゃありません。でも世の中にはそういう考えで動く人もいるし、そんな人がこの先あなたを騙そうとすることがあるかも知れない――」
柊はこの遊びを通して、そして身を持って、そのことを姫に伝えようとしたのだろうか。しかし何も姫にとってたまの息抜きである、『外でお散歩』の楽しい時間に、そんな無粋な真似をしなくても――。風早は己と友人の決定的な考え方の違いを感じていた。

「残念ながら、私は姫にお目にかかる機会が少ないものですから。姫つき従者である、人の良い君と違って、ね」
「――なんだかトゲがあるね。でも人が悪いと言ったのは正直な気持ちですから」
謝罪するつもりはありません。風早は柊の嫌味を冷静に突っぱねた。
「そうですか？　もしトゲを感じたなら、それは君の傲慢でしょう。そして何もかもひとりで背負い込もうとするのは、君の悪い癖だ」
「柊……」
多くの人間との触れあいが、姫の心を豊かにする。柊の言いたいことは理解できる。けれど、それにしたってやり方や時期があるだろう。第一、幼い姫の前でする話じゃない。風早が反論しようとしたとき、その姫が毅然と割ってはいった。
「二人とも、ケンカしたらだめだよ…！！」
「二ノ姫……？　いや、俺たちは別に、ケンカをしているわけでは――」
「ええ、姫。誤解なきよう。これは諍いではなく、単なる意見交換ですよ」
「だったらもっと仲良くして。風早と柊はお友達なのでしょう？」
同時に言い訳をはじめた風早と柊を制して、姫は断固として言った。

「……そうですね。すみません、姫の御前で」
「御意のままに」
姫の"お友達"になんとなくもの申したい気分になりながら、二人は恭しく引き下がった。
「もう。二人とも子どもみたいなんだから」
ふくれっ面をした姫君のやれやれというため息に、風早と柊は顔を見合わせて苦笑した。

＊＊
「――では。準備をいたしますので少々お待ちください」
柊は長くのびたスギナを新たに一本つみ取って、姫と従者に背中を向けた。
「姫、いいんですか。本当に柊の『作戦』と『悪戯』をルール違反にしなくて」
「るーるー？」
聞き慣れない単語に姫が首を傾げる。一瞬しまったという表情を浮かべた風早に、柊はどことなく意地悪に言ってよこした。
「おや、君は不思議な言葉を使いますね。私は姫のご判断は賢明だと思いますが。この遊びには、余計なるーるーはないほうが面白い。そうでしょう、姫？」
「ねえ、るーるーって何？」
柊の質問は聞き流し、姫は無邪気に尋ねかけた。準備を終えた柊が振り返って、澄まし顔で続いた。
「姫は勉強熱心でいらっしゃいますね。素晴らしいことです。風早、るーるーとは何ですか？」
「――。そういうわざとらしい真似は止めてください、柊」
風早が顔をしかめた瞬間、不意に風が舞い上がった。スギナは柊が切り離した節から折れて、半分から上が地面へ落ちていった。

「あー…っ！？」
「残念、当てっこをする前にスギナが落ちてしまいましたね」
落胆する姫を慰めるように、風早は優しく声をかけた。
「おやおや。人が悪いのは果たしてどちらでしょうねぇ？」
「なんのことですか？　それより姫、風が冷たくなってきました。そろそろ宮へ戻ったほうが良いかもしれない」
柊の疑惑の眼差しを受け流し、風早は申し訳なさそうに提案した。
「う、うん。そうだね――」
小さな姫はふと考え込んで、明らかに遊技の中断にがっかりする柊を慰めた。
「あのね、柊。あんまり落ち込まないで。きっと風が悪戯をしたんだよ？」
「二ノ姫……。なるほど、さすがは我が君、すべてお見通しですか。ならば私が申しあげることは何もない、姫の公平なご厚情にただ感じ入るばかりです」
「わがきみ？」
ひとり納得した様子の柊を前に、姫はいくつかの疑問を飲み込んだ。正直なところ、姫には柊の話は意味がよくわからない部分が多かった。そして柊と一緒にいる時の風早の話も。

「ええと。じゃあ風早、そろそろ帰ろう？」
「はい、そうしましょうか。――柊も、あまり遅くならないうちに邸へ戻ったほうがいいよ。今週は食事番だったろう」
「嫌なことを思い出させますねぇ、君は。では二ノ姫、御前を失礼いたします」
世話焼きの友人にそっけなく返して、柊は姫に頭を下げた。
「うん。柊、またね？」
踵を返してさっさと歩き出した少年に、姫はそう声をかけていた。柊はもう振り返らず、片手を軽く振ってよこした。

「柊は、もう私と遊ばないのかな？」
「え……？」
小さい姫の不安げな声を、従者は聞き逃した。
「風早、ちょっと待っていて」
そう言い残して、二ノ姫は柊の背中を追って走り出した。

「柊、ねえ、待って！」
「――二ノ姫」
柊は自分を追ってきた姫に一瞬驚いた顔をしてみせると、すぐに悪戯な笑みをつくった。
「おや、いかがされましたか。宮へ戻るのは止めて邸へ遊びにいらっしゃるなら、我々はいつでも歓迎いたしますよ」
「う、うん。でも、岩長姫のお邸は楽しそうだけど、私が勝手に行ったら皆に迷惑をかけるから。それよりも、柊はまた私と遊んでくれる？」
柊はいつものおどけた柊だった。しかし姫は、なんとなく感じた不安を正直に確かめた。
「もちろん、御意のままに。…しかしなぜ急にそのようなことを？　姫が私と離れがたく思ってくださったなら、嬉しいのですが」
「柊は遊んでくれたのに、私がズルと決めつけたりしたでしょう。それで気分を悪くしたかもしれないと思ったの。私は姫だから、皆、嫌なことをされても我慢して、何も言わないでいなくなってしまうから――」
しょんぼりとうなだれている幼い姫に、柊は胸を痛めた。誤解させるつもりは微塵もなかっただけに尚更だ。少年は己の不徳と余裕の無さを責めながら、けれどそれを感じさせない明るい声を響かせた。

「ああ、困りました。姫、どうかその可愛らしいお顔を上げてくださいませんか？　でなければ私はあなたの側近くに使える彼から、きっと一晩中……いや、一日中かもしれないな。延々と辛気くさい恨み言を聞かされてしまいます」
「――風早が、恨み言？」
柊の大げさな哀願に驚いて、姫は曖昧な笑みを返した。
「ええ。まあ、そうでなくとも彼の話は姫のことばかりなのですが。風早は、本当にあなたのためを思っている。そしてそれは微力ながら、この私もです」
柊はぎこちなく姫の肩に手をやって、励ますように続けた。

「ですから姫は、どうぞご安心を。もしもこの先あなたを騙し傷つけようとする者がいたとしても、あなたのしもべは必ず姫をお守りする。先ほどの風早のようにね」
「……うん」
「さあ。では二ノ姫、私の話をおわかりいただけたなら、彼の元へお戻りください。あなたとお別れするのは寂しいが、私は次の機会を心待ちにしております。……また、今日と同じルールで遊んでいただけますか？」
素直な姫を柔らかく促しながら、柊は期待を込めて尋ねた。別れた位置で、風早が姫の帰りをじっと待っているのが見えた。
「手加減しないでとお願いしたのは私だもの。でもね、次はきっと見破るのだから」
「ふふ。期待しています」
意気込んで快諾した姫に、柊は胸に手を当てて照れくさそうに微笑んだ。千尋はわずかに頬を紅潮させて、もう一度「うん」と頷くと、すぐに身を翻して、風早のもとへ駆け戻っていった。

「我が君――、ありがたき幸せ」
姫が従者の腕に飛び込んだのを見届けて、柊はこっそり頭を垂れていた。まだ幼い主の厚情を噛みしめながら。

「風早、待たせてごめんなさい。柊とすこしお話がしたかったの」
「いいえ、話はもう良いんですか？」
「うん、もう帰ろう？」
まっすぐに駆けてきた少女を抱きとめて、風早は穏やかに頷いた。

「あのね。風早もさっきから気がついていたんでしょう？　柊は、たぶん私にいろいろ教えようとしていたんだって」
「姫――」
少女の意外な洞察に、風早は少々面食らった。彼女の成長から置いて行かれてしまったような、ほんのり寂しい気持ちで、従者は黙って頷いた。
「でも……どうして柊っていつもふざけ半分なんだろう。そのせいで、わかりにくいよね？」
「うーん、そうですね……」
きっと照れ屋なんですよ。もしかすると柊は、人から優しいと思われるのが苦手なのかもしれません。風早は生真面目に考え込む姫に、己の想像を押しつけるのをためらって、続けた。
「根がお調子者なのかもしれませんね。それで邸でも忍人――弟弟子のことを、よく怒らせていますし」
「そうかなぁ」

"お調子者"がなんとなく腑に落ちない姫に、風早は優しく微笑みかけた。見ると柊がすっきりとした顔を上げていた。風早は彼と何気なく視線を交わし、柊の意図に気付いた姫の優しさに心が救われる思いで、少女を軽々と抱え上げた。いつものように、すぐに小さな手がしがみついてきて、少年はそのぬくもりを噛みしめた。

「やっぱり姫は優しいですね。あなたをお守りできて、俺は幸せです」
「もう、どうしてそういう話になっちゃうの？　今は柊の話をしているのに――今日の風早は、なんだかちょっと変よ」
「ははは、すみません」
大人びたことを言ってみせる姫に苦笑しながら、従者は友と別れ、宮への帰り道を惜しむように歩いた。

――それは遠い日の、まるで夢のように淡く、初めから忘れることを約束されていた些末事。けれど少年たちの心には、いつまでも暖かな思いが残った。

終