SS.

「誕生日おめでとう、千尋！」
「ハッピーバースデー！」
制服姿の少女たちが笑顔で姫を取り囲んでいる。放課後のファーストフード店は人でごった返していた。
「う、うん。どうもありがとう」
「まあ、いいから、いいから！　それよりプレゼント開けてみて」
姫が笑みを浮かべて、どことなく戸惑った様子で頷いている。丁寧に包みを解くと、中から小さな石の連なる腕輪が出てきた。
「わあ…！　これすごく可愛いね」
「気に入ってくれた？　みんなで選んだんだよー。こういうの好きかなって」
「千尋はせっかく可愛いんだし、もう少し飾らないとね。そうすれば彼氏なんか簡単にゲットできるよ！」
「かっ、彼氏なんて、私そんなの別に！？」
「あーらら。千尋、もう顔真っ赤だよー？」
「あはは、本当だ！」
赤くなって慌てる少女に、友人達は冷やかすように笑ってはやしたてた。困り果てた姫の声が響く。
「もう、みんなすぐそうやってからかうんだから！　でも――どうもありがとう。大事に使わせてもらうね」
「やだなあ、そんな大したものじゃないし。気を使わないでよ」
「そうそう。普通に使ってくれたほうが、うちらも嬉しいし――」
取り留めない会話の途中で、姫が急に立ち上がった。何かを探すように辺りを見回しはじめた少女から逃げるように、私は意識を手離した。
「って、千尋！？　いきなりどうしたの。誰か知ってる人でもいた？」
「ご、ごめん。――なんでもないの、気のせいかな」
姫の声は遠ざかってすぐに聞こえなくなった。


この橿原の街には、季節感というものがまるでなかった。道行く人もみな魂が抜けたような、ぼんやりとした顔をしている。私のこの世界に対する関心の低さが、おそらくそのまま現れているのだろう。私は己が原因だと知りながらも、姫の誕生日が果たしていつなのか、季節すら推測できないことに落胆していた。
視線の先にはもう長いこと、少女がひとり交差点で佇んでいる。彼女が動く気配はない。青信号を何度も見送りながら、退屈そうな人待ち顔だ。

「許せませんね。このような日に、こうしてあなたの時を無駄に費やさせる不届き者は」
私は意を決して、彼女に姿を現した。
「――ううん、無駄ではないよ」
少女は振り返って、「だって柊に会えたもの」と心から嬉しそうに続けた。
「どうして――、姫はいつからお気づきでしたか」
「どうしてと言われても、ただそんな気がしたの。お店には柊の姿はなかったけど、なんとなく。――でも、あなたがいるってことは、やっぱりここは私の夢の中なのね？　おかげで懐かしい人たちと、久しぶりに会うことができたよ。どうもありがとう」
姫は私が消えるのを案じてか、ばかに早口で言った。その優しい気持ちに、私は居たたまれぬ気分にさせられた。彼女の許しがなければ、こうして夢に忍ぶことも出来ぬ身とはいえ、彼女の態度はあまりにおおらかで、無防備すぎる気がした。

「礼には及びません。これは私が関与したものではないのですから。姫はいまご自身の記憶……思い出を、夢でご覧になっているのですよ」
「そうなんだ？」
いまひとつ納得がいかない様子で、姫は考え込んだ。

「――おや」
ふいに通り過ぎる人々の視線に気付いた。彼らは私を不躾に眺め、怪訝な表情を浮かべている。その顔には確かに先ほどまでは感じられなかった生気が宿っている。ここが姫を中心に気が巡っていることの証明だ。
「どうしたの、柊」
「これは、長居は無用ですね。――ああ、いいえ姫。こちらのことです」
信号が赤から青に変わる頃合いを見計らって、私は少女を促した。
「だが、過去を懐かしむのは悪いことではありません。今宵は特別な日、家では祝いの膳が整えられ、みながあなたの帰りを心待ちにしておりましょう。どうぞ私のことは忘れてお楽しみください」
「――うん。たしかに誕生日には、毎年風早がケーキとご馳走を用意してくれていたよ。那岐もなんだか普段よりちょっとだけ親切で……」
姫は感慨深そうに言い、青に変わった信号に目を向けながら、まるでいま思いついたように続けた。
「そうだ。それなら柊も一緒に行こう？」
「姫、それは――。せっかくですが」
ご遠慮いたします。と続ける私を遮って、姫は私の手を掴みさっさと横断歩道を歩き始めた。
「大丈夫よ。柊と風早は昔から友達なのでしょう？　それにパーティーは賑やかなほうが楽しいもの」
「それはまあ……友人かと言われればそうですね。だが、彼らは決して私を歓迎しないと思いますよ」
「そうかなあ？」
否定とも肯定ともとれる返事をして、姫は黙り込んでしまった。
横断歩道を渡り終えると、すぐ先に大きな桜の木が見えた。散りはじめた花びらが風に舞っている。

「姫。せっかくのお誘いなのですが、私はここで」
「わかった」
桜の木の下で、姫は繋いだ手をあっさり離し、生真面目に続けた。
「でも、本当に来ないの？　もし、柊が気を使っているなら――」
「以前も申し上げたかと思いますが、あの家には結界が張ってありますから」
笑顔を作ってみせると、姫はどことなく困ったように微笑み返した。
「風早たちに事情を話せば、中に入れないかな？」
「姫が望まれるなら、叶うかもしれません。しかしそれであなたの大切な思い出を壊すのは、私の本意ではありませんから」
「そんな、壊すだなんて……！」

困り切った姫の声を聞きながら、私は考えていた。思い出を懐かしむ姫の邪魔をするつもりはなかったのだ。だがならば何故、私はこうして姫の前に姿を現してしまったのか。声をかけなければ、我が君はあの交差点でいつまでも私を待ち、家へ帰れぬのではないかと思ったから。そんな言い訳が浮かんで、内心苦笑した。
姫は我慢強く言葉の続きを待っていてくれる。私は正直に告白した。
「だが――私はあなたが生まれた日を知りたかったのです。そしてお祝いと感謝をお伝えしたい、そう思いました。豊葦原にそのような習慣はありませんが、できればこの世界の者たちと同じように、それであなたの喜ぶお顔を見ることができるならと」
「柊――」
案の定、姫は目をまるくして驚いている。彼女が口を開きかける前に私は尋ねた。
「こんな身勝手な望みで、あなたの思い出に忍び損なった私を――我が君はお許しくださるでしょうか？」
「許さない、なんて私が言わないことはわかっているくせに」
姫は私の頬に軽く触れて、穏やかに微笑んだ。私が知るよりもいくらか幼げな顔で大人びたことを言う少女に、なんとなく不思議な気分にさせられる。軍師がさだめによって訪れる「あの日」より、ここはどれほど過去にあたるのだろう。一年？　それとも――。満開を過ぎた桜を横目に、私はそんなことを思った。

「姫は、春生まれでいらしたのですね」
「え？　春？」
姫が訝しげに首を傾げた。
「おや、違いましたか？　そこの桜を見て、てっきりそうだと思ったのですが」
「あ、――本当だ。もう散りはじめているけど、綺麗だね」
風に舞う花びらに、姫は眩しげに目を細めている。一瞬にして奪われてしまった少女の関心を取り戻したい。柄にもないことを考えながら、私は思いつくままに言葉を繋いだ。
「お誕生日おめでとうございます、我が君。あいにく贈り物の準備はできませんでしたが、それはまたときを改めて――」
「ありがとう。でも贈り物は気にしないで。柊の気持ちだけで十分嬉しいから」
姫は再び私の手を取って、照れくさそうに続けた。
「それと、私もあなたと一緒に戻るよ。豊葦原に」
「姫、それは……」
「いいんだよ、私がそうしたいのだから。……でも、向こうに帰るにはどうすればいいのかな、やっぱり耳成山？」
姫はひとりで納得したようにつぶやくと、私の手を引いたまま楽しげに歩き出した。


「本当によろしかったのですか？」
山道を歩くうちに、いつの間にか手を引くのは私の役目になっていた。ばかに機嫌良く山登りを楽しむ姫に、私は尋ねた。
「なにが？」
言葉に詰まる私をしばらく見つめてから、姫はふっと笑顔をこぼした。
「もしかして、お誕生日のご馳走が惜しくないかってこと？　私ね、柊が思っているほど食いしん坊じゃないよ」
「いえ、そういうことではなく……。姫は私をおからかいですか？」
「あはは、ごめんね。でも、柊が急に真面目になるんだもの」
姫は冗談めかして笑うと、すぐに私の顔をのぞき込んで続けた。
「心配してくれてありがとう。でもね、思い出は心の中にあるものだけで十分だから」
「十分ですか」
「うん。それにね、ここで柊に会って思ったの。私はあなたに会うために、あの日この世界に生まれ直したのかもしれないって」
「あの日……」
「あ。柊はもう、忘れてしまった？」
考え込む私に、姫がわざと悲しげに表情を曇らせた。なんとなく照れ隠しのような気がして、私は姫をからかうように答えていた。
「我が君は、たまに意地の悪いことをおっしゃいますね。――忘れられるはずがない。あなたが私を救おうと迎えに来てくださった日のことは、昨日のことのように覚えていますよ」
さだめから世界を解き放つために黒い龍を倒す。それを諦めないために、改めて私の意志を問うた姫の優しさ、厳しさ、その覚悟に、私はあの時必ず応えようと――否、応えたいと心から思った。
「む、迎えにって…！　はじめは柊が私を迎えにきたんだよ？」
西の空に沈んでいく夕日を見つめて、姫が口を尖らせた。

「ふふ、そうでした。あの時の姫の冷たい視線を思い出すと、未だに胸が苦しくなります」
「――もう。柊はすぐそうやって大げさに言うんだもの、困っちゃうよ？」
私がおどけてみせると、姫がほっとしたように返してきた。金の髪を一房つまんで、いつもそうするように軽く口づける。
「そういえば、いまもあの日と同じ夕日の色だ。……ここはいつの間にか、姫がお生まれになった日ではなくなっていたのですね。おそらく私が原因だと思いますが」
「そ……そんなにがっかりしないで。私は別に困っていないし――」
私に謝罪させまいと、姫は慌てて寄ってきた。優しく抱き寄せて髪をなでると、少女は安心したように私を見つめた。

「姫の思い出に私が干渉した結果、夢は私の願望に引っ張られて形を変えてしまったのでしょうね。私はあの日以外の『現代』をよく知りませんから。こちらでのあなたを知りたいという気持ちより、私の知らないあなたがこちらで楽しそうにされているのをつまらなく思う気持ちが勝ってしまった結果かもしれない」
私の言い訳を姫は黙って聞いていた。釈明が終わったところで白い手が伸びてきて、私の髪を撫でるように触れて微笑んだ。
「柊は変なところでやきもち焼きなんだから」
「それは……。まいったな、これでは否定できませんか」
我ながら情けない。思わずため息をつくと、姫は私をぎゅっと抱きしめて、悪戯っぽく尋ねてきた。
「私は別にこれから誕生日が二つあっても困らないけど。…柊は困るかな？」
「――。祝いの宴が年に二回必要になりますね。『贅沢は慎め』などと言ってくる者がいるかもしれませんが、どちらも抜かりなく準備を整えてご覧にいれますよ。もちろん我が君がお望みとあらば、ですが」
「ふふふ。やっぱり柊はしょんぼりしているより、そっちのほうがいいね」
姫は陽気に笑って続けた。
「でも、贅沢な宴は必要ないよ。私の望みはひとつだけだから。アカシャに縛られない未来を、あなたと一緒に生きていくこと。そのために――」
「ならば我が君。ひとつは私に、私のためだけにいただけませんか。あなたがこの世界に生を受けた喜びを分かち合い、感謝するために」
冷静に考えてみれば馬鹿げたことだが、私は本気で「あなたの誕生日が欲しい」となどという、意味の分からぬ願いを口走っていた。それを聞いた姫は一瞬驚いた顔をして、けれどすぐに恥ずかしそうに確認してきた。
「え、ええと――。それは構わないけど。私も柊と二人でお祝いできたら嬉しいし。そういう意味だよね？」
「ああ……。望みを受け入れていただき、恐悦に存じます。愛しき我が君」
胸に手を当てて恭しく言ってみせる私に、姫は照れくさそうに微笑んだ。

「――ねえ、柊。そういえば、比良坂ってまだ遠い？」
「おや、山登りには退屈されましたか。ならばすぐにも部屋へお送りいたしましょう。もちろん我が君がお望みとあらばね？」
「そうなの！？　さっきからどうすれば目が覚めるんだろうって、すこし心配だったのに……！」
姫はなんとなく口を尖らせて、私を非難がましく見つめてきた。明らかに「どうして知っていたのに教えてくれなかったの！？」という顔だ。少しでも長く、あなたの可愛らしいお顔を拝見していたいあまり、時を忘れておりました。本音ではあるが、この場合火に油を注ぐようなものだ。
「ふふ、聞かれませんでしたから言いそびれました。さあ、姫。目を閉じて――」
「もう…！　柊はそうやっていつもごまかして……！」
「続きはお目覚めになってから伺いますよ、夢の中では口づけも味気ないでしょう？」
「なっ…！？」
一気に頬を染め、口をぱくぱくさせる少女のまぶたを閉じさせて、私は帰還の術を唱えた。

終