SS.

私の記憶に残るもっとも古い声は、少女の涙声。

「あなたは………のかけら。柊の言うことなら信じる」
懸命に己に言い聞かせているような響きに、すぐさま反応するものがいた。
「どうか泣かないで、孤高の王よ」
彼女を励ます声の主は、私のすぐ近くにいた。力に満ちた石がいくつか、それぞれに違った色で輝いていた。
「容易くうつろう人の身に代わって、我らが神子をお守りします」
「ああ。この命に代えても」
強い意思を感じさせるそれらの声が、少女に届いたかどうかはわからない。
「……雨だ」
不意に水しぶきを感じて私が声をあげると、意思たちの声は一瞬止んで、すぐにどこからともなくため息が続いた。
「これは雨じゃない。そんなこともわからないのか？」
「……わからない。けれどこの雨は、不思議と心地良い」
「いい気なものだな」
「このまま何も知らぬほうが幸せかもしれないな」
冷たい侮蔑が一斉に向けられた。このときはまだ、私は私が何者であるかも、彼らが何者であるかも知らなかった。

「千尋、ちょっといいですか」
「風早」
「──ああ。それは宝玉ですね。また眺めていたんですか？」
青年の穏やかな声が外から聞こえてきた。
「あ、う、うん……。無くさないように、この間もらった土器に、全部しまっておこうと思って」
「そうでしたか。ちょっと小ぶりにしすぎたかなと思っていたんですが、小物入れには良さそうですね」
「うん、ちょうどぴったり。……そうだ、ずいぶん前に風早から預かった石もあるけど、持って行く？　大切なものなんでしょう？」
「ええ。とても大切なものなので、他の石と同じように千尋に預かっていてもらえれば安心ですね。頼めますか？」
「もちろん、いいよ」
少女の声も外から──まるで先ほどの雨のように、天から心地よく降りそそがれていた。
「ところで柊のことですが。あれから忍人や布都彦にも声をかけて、みんなで近くを探してみたんですが、見つかりませんでした」
「そう……」
「今日はもう遅いですから、明日はもう少し範囲を広げて探してみますね」
申し訳なさそうに青年が付け加えた。
「ううん、いいよ、風早」
「え？　柊のこと、探さなくていいんですか？」
「うん。今日はわがまま言って振り回してごめんね。あとでみんなにも謝ってこないと」
少女の声は明るいが、どことなく無理が滲んでいた。
「謝らないでいいんですよ、千尋。みんななんだかんだ言って、柊がいなくなってしまったことは気になっていたんです。──それにしても、俺たちには何の挨拶もなしとはひどいな。柊は元気そうでしたか？」
「どうかな。私が見た限り、いつもの柊だったと思うけど……」
「そうですか。それなら心配はなさそうですね」
不安げに考え込む声を励ますように、青年が明るく言った。
「そうかな？　柊は私にいろいろ話をしてくれたけど、なんだか本当に知りたかったことは聞けなかった気がするんだ」
「知りたかったこと、ですか？」
「うん。話していてちょっとだけ辛そうにも見えたから、なんだか心配で。いつも通りに見えたけど、本当に大丈夫なのかなって」
「──千尋は心配性すぎ。ああいうタイプは殺したって死なないよ。悩むだけ時間の無駄だと思うけど？」
少年の無遠慮な声が近づいてきた。と同時に私は白く暖かいものにすくい上げられた。間近に少女の顔があった。短く切り揃えられた金色の髪が眩しい。
「あ、那岐。もしかして、那岐も今まで柊を探してくれてたの？」
「まさか。天気が良かったから、ずっと外にいただけだよ。……へえ。その石、面白い色してるね」
少年が面倒くさそうに話題を変えた。
「確かに他の石とは雰囲気が違いますね。千尋、どこで見つけたんですか？」
「ちょっといびつだけど綺麗でしょう。今日、柊がいた場所に落ちていたのを見つけて、拾ってきたんだ」
少女は嬉しそうに言って、そっと私を握り締めた。
「……千尋。俺も那岐の言うことに賛成です」
「はあ？　いきなりなんだよ、賛成って」
「風早も、柊のことを考えるのは時間の無駄だと思うってこと？」
不満げな少年を横目に、少女は青年に尋ねかけた。
「無駄とまでは言いませんけど。柊のことですから、きっと何か事情があるんだと思います。だから千尋もあまり心配しないで」
「そうかな……。うん、そうかも知れない。もしかしたら、そのうちひょっこり帰ってきてくれるかも知れないし」
少女の寂しげな声を聞いて、何故だか胸が痛んだ。
「そうですね。俺たちとしても、戻ってきて一緒に仕事をしてくれると助かるんですけどね」
「まあ、今はどこも忙しいしね」
「そんなこと言って。那岐はいつも昼寝三昧じゃない」
「これでも必要最小限だよ。千尋こそ働きすぎなんだ」
呆れる少女に、少年はまるで悪びれずに反論した。
「そうなの？」
「はは、那岐の言うことにも一理あるかもしれませんね。──と、そろそろ夕食の時間かな。千尋、采女たちが食事を運んで来る前に、その土器も片付けてしまいませんか」
青年が私に不思議な色の瞳を向けた気がした。
「あ、そうだね。今日のご飯、なにかな？」
少女は言いながら、私と群青色の宝玉を隣同士にして、殻の中へ戻した。

「──そろそろ目が覚めたかい？」
しばらくして少女たちの声が遠ざかると、青い石が尋ねてきた。
「わかりません。私は……なにも」
本当は何もかも思い出していた。私はこの世界の道端に転がる石。神子の幸福を願って止まぬ、この星のたった一粒。──龍の宝玉になれなかった、名を持たぬもの。なんの力も持たぬもの。

「あなたは私の大切な人のかけら。柊の言うことなら、信じる」
私の記憶に残るもっとも古い声は、我が君の涙声。