出雲の山中。日の当たる道から脇にそれて、柊は森へと足を踏み入れた。人の手の入らない森は暗く、あちこちで倒れた木が行く手を塞いでいた。彼は己の姿を露出させ、膝下のすかすかした感触を頼りに獣道を辿っていた。姫の荒魂浄化行脚に同行した仲間たちとも離れ、単独行動を取っているのには理由がある。このあたりで荒魂と化した獣たちを、まとめておびきよせるためだ。柊は狙い通り、ほどなく殺気に囲まれた。
「――小物ですね。気の毒だが、あなたたちのために、我が君の御手を煩わせるわけにはいかない」
我を失った獣たちを前に、柊は無表情に言って武器を構えた。
闇に食われ荒んだ神々を神子は救い、彼女は救った神から恵みを受ける。それを彼は、姫を神子として強化する手段のひとつに過ぎないと考えていた。
この豊葦原では神は万物に宿るとされている。黒き龍の影響で荒む神も多いが、小さな娘一人にその全ては救えない。少女の体力は少なく、時間は限られている。効率は良いにこしたことはない。ならば力の弱いものは捨て置き、力の強いもの、助けた見返りが大きいものだけを選別して神子へ与えればよい。無論、その時々の状況と神子の実力に応じて、ではあるが。そんな傲慢な結論に彼はごく自然に辿り着いていた。否。そのための力が己に用意されている運命の周到さに、柊は感謝すべきかと笑った。
「さて、そろそろもどらないと」
姫にご心配をおかけしてしまう。ふとそう考えて、柊は己の願望に気付いて苦笑した。
獣はこの不遜な青年に指一本触れることなく、すべて地に倒れていた。柊はこのあたり一帯に闇を呼び、夢を敷いていた。
「不敗の葛城将軍に、またお叱りを受けてしまいますから。――ねえ、忍人」
名指しされて、柊の行動を不審に思って後をつけてきていた忍人が、木の陰から姿を現した。仲間に対するものとは思えない殺気をたぎらせる将軍に、軍師はわざとらしく続けた。
「いったい君は、いつまで私を疑う気ですか？」
「お前はここで何をしている。どういうつもりだ」
忍人は柊の問いは一切無視して、あたりに昏倒する獣を一瞥し、不審感を露わに言った。
「見ての通りです。敵を倒しました」
「倒した――だと？」
イライラしながら忍人は柊に詰め寄った。
「ええ。――ところで、戻りませんか。君がここにいるとなると、私の願望もあながち期待はずれではなくなってしまいそうですので」
「何を言っている？」
優雅な笑みを浮かべる柊を睨みつけ、忍人は自問するようにつぶやいた。
「残念ながらこの辺りには、我が君の糧となってくれそうなものはないようです。王の剣たる君が、せめて退屈せずともすむ場所へ、速やかに姫をご案内申しあげねばなりませんね」
忍人の自問に柊は答えた。
「柊。お前――……」
何か思い当たる節があったのか、忍人はやや表情を和らげて、一瞬物思いに沈む表情を見せた。
「さあ、急ぎますよ。忍人」
柊は親切ぶった口調で将軍を促すと、踵を返した。
「忍人さーん！ 柊ー！」
明るいほうから少女の声が響いてきた。二人を探しに来た千尋が、無邪気に手を振っていた。倒木につまずいて、よろけながらこちらに向かって来る姫に、従者が慣れた様子で手を貸している。
「二人ともー。そろそろ出発しませんか？」
風早が声を響かせた。
「ああ、姫、そこでお待ちください。すぐに参ります」
柊は嬉しそうに応えると、いそいそと千尋に駆け寄っていった。忍人は気むずかしげにため息をついて、しぶしぶその後に続いた。
終