SS.

道場の入口に、見慣れぬ者がぼんやりと立っていた。

「鍵はかかっていませんよ」
私はそれに声をかけた。
「あ、うん。……先生に、今日から剣の稽古をつけてやると言われて、待っているところなんだ」
「話は聞いています。風早族のご子息が、入門することになったと」
「風早です。よろしく」
人の形をしたそれは、人よりも美しく笑ってみせた。
敵意のない印に差し出された手を、私は無視した。

「師君が来るのは、いつも昼過ぎです」
「え？」
「それまでは、師範代や兄弟子たちが下の者の面倒をみている。――君ならばきっと、すぐになじめるでしょう」
たてつけの悪い入口の引き戸は、一度二度蹴ってやらないと開かない。私が乱暴に戸の角を蹴って開けてやると、それはたいそうびっくりした顔で、「なるほど、そうやって……」と呆然とつぶやいた。

「では、私はこれで。戸を閉めたい時も、同じように蹴ってください」
「え？　君は、ここの人――じゃないのか？」
立ち去る私に、それは声をかけてきた。

「あなたと同じです。縁あって、ここで厄介になっています。では、」
「中に入って構わないかな。誰もいないけど」
淡い色の瞳が、何かを探るように揺れた。

「いちいち許可はいりませんよ」
「ごめん。――まだ、ここによく慣れてなくて。よろしく、ええと……」
「私は柊。よろしく、」
――人ではない、異形のものよ。

「よろしく、柊」
再びにこやかに差し出された手を、私は無視した。

「兄弟子たちはまだ朝食中です。そのうち顔をみせるでしょう」
「うん。どうもありがとう」
それは善良に笑って礼を言うと、思い出したように続けた。
「そうだ。ここに工具はあるかな」
「――この戸を修理するつもりですか？」
「開け閉めするたびに蹴られていたんじゃ、可哀相だろう？」
私の問いかけに、それは再び人よりも美しく笑った。

「たしか奥の武器庫の隅に、埃をかぶっていたと思いますが」
「ありがとう」
柔らかく言い残して、それは道場の中へ駆けていった。

「――あれ？　柊」
工具を手に戻った彼が、不思議そうに首を傾げた。

「手を貸します」
「あ、ああ。助かるよ。……ありがとう」
風早はまるで人のように気弱に瞳を揺らし、ためらいがちに微笑んだ。

「枠も戸も歪んでいますね」
「うん。さすがに枠は無理だから――、戸のほうを削ってやらないといけないな」
私の見立てに頷いて、彼は手前の戸から丁寧に外しはじめた。

「言っておきますが、私は修理は不得意です」
「はは、大丈夫。俺はこういうことは得意なんだ。――……たぶん」
長年の間に積もった枠の歪みに合わせて、二枚の戸を削る作業を、風早は黙々とこなした。得意だという言葉の通り、彼の修理の腕前は見事だった。
私たちは兄弟子たちがやって来る前に、すべての工程を終えていた。風早はなめらかに開閉するようになった扉に改めて触れ、どことなく愛おしげに目を伏せた。

「――柊。手伝ってくれてありがとう。本当に助かったよ」
風早が、はじめて私の目を見て笑った。
埃だらけの手が差し出された。掌には何度か豆を潰した跡が残っている。
私はそれ以上の詮索を止めた。

「礼はいりません。――よろしく、風早」
私は彼の手を取った。

終