うららかな日差しが降り注ぐ朝。意を決した姫の声が部屋に響いた。
「柊と一緒に眠ると、身体にその…必ず赤い跡が増えて――。困るの」
起き抜けの少女の唐突な、けれど心からの訴えに、柊はまったく悪びれずに微笑んで返した。
まだ結っていない金の髪を一房つまんで、軍師はそのまま愛おしげに口づける。それは彼の習慣のようなものだった。柊の心がまるで動いていないことを感じ取った姫は、同じ寝床の上で改めて軍師に向き直り、不満げに付け加えた。
「別に痛いわけではないけど、でも祭事の衣装あわせのときなんか、たくさんの人の前で薄着になるし……本当に困るんだよ？」
「そういえば、姫も時折、私の腕に歯形をおつけになるでしょう？ それを見ると、私も我が君の愛らしいお顔を思い出してしまって困りますね」
軍師は困ったこと自慢と勘違いしている節がある。何やら楽しげに姫に対抗してきた。
「ち、違っ！？ だいたいあれはわざとじゃ……！ というか、柊は別に困ってないでしょう！？」
「ふふ。確かにそうかもしれないが」
身辺警護という名目で、軍師が姫の私室で夜を過ごすのは既に公然だったが、だらだらと朝まで長居すると世話役の女がうるさい。柊は自分だけ納得した様子で話を終わらせると、立ち上がって衣服を整えはじめた。
「待って、まだ話は済んでいないわ」
「嬉しいですね。我が君にお引き留めをいただけるとは。――私はまたあなたに寄せていただけるように、仕事に励んでまいります。しばらくお側を離れますこと、お許しを」
「だからどうして柊は、そう無駄にポジティブなの！？」
ぽじてぃぶの意味はわからなくとも、姫の言わんとすることは、なんとなく軍師に伝わった。しかし彼はそれをふまえた上で、にこやかに少女に笑みを返した。
「これは――機嫌を損ねてしまいましたか。ところで姫には、今後しばらく祭事を執り行われるご予定はなかったはずですが……、記憶違いでしたでしょうか」
「う……それは。そう、なんだけど」
知っていたんだ。と姫は白い肌をすっかり隠すように、気恥ずかしげに毛布にくるまった。
姫が神子として国の祭事に借り出されるとき、千尋と柊が同席することはまずなかった。それどころか、そこに彼の席が存在しないことも珍しくない。それでも軍師が自分の予定を把握していてくれたことに気が付いて、姫の憤りは大幅に和らいだ。
「我が君に触れることをお許しいただけないなら、私は慎んで従います。できればあなたの愛らしい寝顔をお守りする権利だけは、取り上げずにいただきたいものですが」
「――そこまで言うと柊のほうが意地悪だわ」
姫はミノムシの格好のまま立ち上がると、ばかにしおらしい台詞を吐いて立ちつくす、愛しい男の顔をのぞき込んだ。
「触られるのが嫌だとか、そういうことではないの。でも柊は私が困っているってことを、全然気付いてなさそうというか、ちっとも真面目に取り合ってくれないから」
それが癪に障ったのだ、と姫は頬を赤らめて白状した。幼いといえば幼すぎる千尋の率直さに、柊は困ったように目を細めた。
「姫は本当に、素直で正直な方ですね。ですから私も困らせて差し上げたくなるのですが」
「え！？」
軍師はどことなく意地悪な笑みを浮かべ、姫の疑惑を黙殺した。
ほどなく入口の戸を叩く音が聞こえた。世話役の女たちが、外で姫の許しを待っている。
「おや、時間切れですね。では我が君、私はこれで」
「あ、柊――！」
男は既に窓の手すりにしゃがみ込んで、姫に生真面目な一礼をしてみせた。軍師は止める間もなく地面に飛び降りたかと思うと、すぐにまるで何事もなかったかのように、今度はどこかおどけた様子で頭を垂れた。
「もしお許しをいただけるなら、また夜に参ります。あなたが私を恋しくお待ちくださることを願って」
深い敬意とまっすぐな期待を滲ませて、軍師は文字通りその場から消えた。
「……もう。いつも自分の言いたいことだけ言って」
姫は小さく拗ねた声を響かせた。毛布がはだけた肩に、胸に、赤い口づけの跡が点々と残っている。
「そうだ。仕返しに、今度は私もわざと――？」
千尋はうっかり決意しかけて、しかしすぐに顔を真っ赤にしてかぶりを振った。いや駄目だ、それはなんとなく、柊の思うつぼのような気がする。
「姫。お着替えのお時間です。お目覚めでいらっしゃいますか？」
「え、ええ。起きているわ。――どうぞ、中に入って」
姫はすばやく毛布を脱ぎ捨てて、下着にあたる着物を羽織りながら、女たちに応えた。
終