テオドアは三体のフロスト人形を胸に抱き、自室への通路を急いでいた。人形から微妙に視線を外しながら、彼は嬉しげに頬を緩め、ひとりごとを呟いた。
「おっと……うっかり見つめては、また精神攻撃を受けてしまいますね」
それにしても、フロスト君は噂以上、想像以上の可愛らしさだ。『未確認飛行物体捕手』をベルベットルームに設置したいという願いを主から却下され、軽く絶望していたテオドアだったが、ポロニアンモールで目に留まった人形を手にした喜びが、すっかりそれを帳消しにしてくれた。それもこれもみな、"彼女"の素晴らしい働きがあってこそだ。
「あら、テオドア」
「姉上」
弟が一瞬「しまった」という表情をしたのを、姉は見逃さなかったが、彼女はそんなことにはまるで気付かないフリをして、さも不思議そうに尋ねた。
「――楽しそうね、何かありましたか？」
「ええ。先日ポロニアンモールで見かけた『未確認飛行物体捕手』の中で捕虜となっていた"彼ら"を、とある方に無事に救出していただけたのです」
テオドアはフロスト君の愛らしさについてはあえて触れず、大姉マーガレットに救出の喜びだけを告げた。
「……3体。展示用・保管用・交換用、といったところかしら」
「え？」
「いえ、なんでもないわ。とても可愛らしい人形ね」
姉は弟の聞き取れなかった呟きを無かったことにして、にこやかにフロスト君に手を伸ばした。ふかふかとした柔らかさとなめらかな手触りに彼女は一瞬めまいを覚えた。
「やはり姉上も可愛らしいと思いますか？ ――あ！ いけない、お待ち下さい！」
テオドアは慌てた様子で人形を姉から引き離すと、フロスト君たちの顔を姉から背けて続けた。
「この人形は危険なのです。精神攻撃を得意としています」
「そのようね。確かにその人形には抗いがたい魅力……いえ、侮りがたい魔力を感じるわ」
マーガレットは自制を取り戻し、弟に適当に話を合わせた。
「危ないところでしたね。姉上が私のように精神攻撃を受けては大変ですから」
テオドアはほう、と胸をなで下ろして言った。そんな弟をマーガレットは何か言いたそうな目で見つめたあと、唐突に口を開いた。
「未熟者ね。そんなあなたに3体もの相手が務まるかしら。私が一体預かってあげるわ」
「いっ…いけません。これは私がお客様に頼んでやっと手に入れた――もとい、あの窮屈な『未確認飛行物体捕手』といういわば檻の中から助け出して差し上げたのですよ？」
親切を装って己の望みをごり押しするのは大姉のいつものやり口だ。テオドアはこれまでの経験上、薄々勝てない勝負だと知っていたが、それでもなんとか抵抗を試みた。
彼は決してフロスト君は渡さないぞ！！と言わんばかりに、人形をぎゅーと抱きしめた。
「……あら」
いつもは素直な弟が、いつになく反抗的だ。マーガレットは寂しげに顔をしかめた。
「お姉様、テオドア、ここで何を？」
抑揚の少ない声が響いた。通路でなんとなく睨み合う姉弟に声をかけてきたのは、エリザベスだった。
「奇遇ね、エリザベス」
「ごきげんよう、姉上」
マーガレットとテオドアが気まずげに挨拶を返す。エリザベスは二人の間に漂うただならぬ空気を感じたが、そこはあえて無視し、弟の腕の中で「ぐええ」と言いそうに顔がひしゃげたフロスト君をすばやく指差した。
「その力の入れ具合では、安らかな眠りを与えることはできません。それともまさか生かさず殺さず……？」
「ち、違いますよ！！」
真顔でぶっそうな誤解をする姉に、テオドアは大慌てで否定した。
「その者たちはいったい何をしでかしたのでしょう。3体ひとまとめでじわじわ圧殺されるなどという恐ろしい辱めを受けねばならない真似を？」
「可愛らしいというだけで――。本当に罪作りね」
マーガレットは弟との行き違いに胸を痛めつつ、妹のあさってな妄想を煽るようなため息をついた。
「確かに……」
エリザベスはいつのまにか、テオの腕からはみ出したフロスト君の頭部を撫でている。
「いけません！ とにかくこのフロスト人形は、姉上たちには差し上げませんよ？ 彼にはいつかベルベットルームに『未確認飛行物体捕手』を設置した際、中に住んでいただくのです」
「あら。あなたの話では、彼らはそこから救出したのではなかった？」
マーガレットが細い指を顎に添えて考え込んだ。
「あのようなものと一緒にしていただいては困ります。もし主がお許しくだされば、私は『未確認飛行物体捕手』の中を、この方々がもっとずっと快適にお過ごしいただけるよう整えてみせますよ」
テオドアはマーガレットに自信たっぷりに言った。エリザベスは姉弟の会話には無関心に、うっとりとフロスト君の頭を撫でまわしていたが、やがて唐突に口を開いた。
「では、そのときまで私が1体預かりましょう」
テオ、寄越しなさい。エリザベスは声なき声で弟にプレッシャーをかけてきた。
「い、いえ……っ。こればかりは、いくら姉上たちの言うことでも――」
「まあ……」
エリザベスはなんとなく面白くなさそうに俯いて、同時にちょっと考え込んだ。この弟が自分たち姉妹にここまで反抗的に自分の意見を主張したことがあっただろうか？ 確かにフロスト人形は"癒し"を物質化したと言っても過言ではないほど愛らしく魅惑的ではあるが、彼の趣味を考えるに、この執着の仕方はいささか異様だ。
「その人形、テオにとってよほど大切なものなのね――」
マーガレットが苦笑しながら言った。可愛いもの好きのベスは、まだフロスト君を未練がましく見つめている。
「大切？ これが、ですか？」
「そう見えるわ。ねえ、ベス」
意外そうに首を傾げる弟に、半ば呆れながら大姉は頷いた。
「少なくともその反抗的な行動は、『私たち姉弟の絆より大切』と如実に物語っています」
「姉上まで何を――」
完全に拗ねている小姉とフロスト君を見比べてテオドアは呆然となり、しかしすぐにはっとなって叫んだ。
「まさか、まだ精神攻撃が効いて…！？」
「未熟者。私に預ける気になりましたか？」
エリザベスはどうしても、どうしてもフロスト君が欲しいようだ。
「――え、ええ。……しかたありません。では姉上、くれぐれもお気をつけて」
とうとうテオドアはエリザベスにフロスト人形を手渡した。彼は姉の仕打ちとは別の原因でしおれている。
「では、こちらは私が責任を持って保管します」
取り上げたのではなく、あくまでこれは『お預かり』なのだと主張して、エリザベスは人形を受け取った。彼女はさっそくフロスト君の全身を思う存分撫でまわし、あっという間にその癒し効果の虜になった。エリザベスが小さな人形にうっとり骨抜きにされ、果ては頬ずりまでしている様子を目の当たりにして、弟が呟く。
「やはりこれは恐ろしい人形だ……」
「明らかに魅了されているわね。未熟者で――困った子」
口では厳しいことを言いながら、マーガレットの瞳は優しげな色をしている。テオドアはそんな大姉を見て、しょんぼりと切り出した。
「姉上、私には姉弟の絆より大切な"物"など……」
「私たちは精神と物質の狭間の住人、本来は向こう側の者とは無縁の存在ね。けれど――」
「けれど？」
事実、奇縁はテオドアを唐突に訪れていた。
ワイルドに目覚めたばかりの少女の話は、マーガレットもイゴールから聞き及んでいる。そしてテオドアがその彼女に"依頼"という形で個人的な関わり合いを自ら申し出たことも。
「大切な"もの"が出来るのは、悪いことばかりではないわ。……きっとあなたにとっても」
「――そうですね」
テオドアは姉の気遣いに感謝しながらも、その言葉の意味を掴みかねていた。
案内人である己の役目は、ベルベットルームを訪れる者を、彼らの意志に応じて文字通り導くこと。彼はただその役目のためにだけ存在する者で、己にとっての○○などという考えなど、考えたこともないどころか最初から存在すらしていないかもしれなかった。
「姉上、こちらをお持ち下さい」
テオドアがフロスト君を1体、そっと差し出していた。
「あら、いいの？」
「ええ、ちょうど3人分ありますから」
「……。精神攻撃を受けた結果、そちらの人形が痛んだら言いなさい。交換してあげます」
エリザベスは穏やかに言うと、まだフロスト君の魅惑攻撃にメロメロになっているベスの襟首を捕まえて、颯爽とどこかへ消えた。
「さて、」
可能性の塊でありながら、未だかよわい雛鳥のようなあの方にとって、必要なものとは何だろうか？ 彼女に喜んでいただける、更なるおもてなしを用意しなくては。
テオドアは1体だけ残ったフロスト人形の頭をぽんぽんと撫でて、足早に立ち去った。
終