SS.

「こんにちはー」
「ようこそ、ベルベットルームへ」
ベルベットルームを訪れた制服の少女が、いつものように出迎えに立った青年に尋ねた。
「そうだ、テオ。これもいる？」
少女は不格好に膨らんだポケットから『ガネーシャ貯金箱』を取りだして、にこにこと笑っている。
「それは？」
「UFOキャッチャーの景品。貯金箱なんだけど、これも飾る？」
先日彼の「フロスト人形が3体欲しい」という依頼を果たした少女は、それならコレも気に入るかもと単純に考えたのだ。
「それはフロスト人形のように展示する物ではなく、お金を保管する用途に使われるものですよ」
「うん、そうだね。ええと……まあいいか」
得意げに知識を披露する青年を適当にスルーして、少女は貯金箱を再びスカートのポケットに貯金箱をねじ込もうとした。
「あっ、いけません」
「やっぱり欲しい？」
「そのように無理矢理入れたら、服が破れてしまうでしょう」
少女の無頓着ぶりにがっかりして、テオドアはかぶりを振った。
「平気だよ。この制服けっこう丈夫みたい」
「――。私のご用意した服はお気に召しませんでしたか？　あの『私服』は現在のお客人に必要十分な防御力と機動性を兼ね備え、細かい仕立てにもこだわった一品でございますよ」
「…え？　何か言った？」
テオドアは少女に聞こえないようにぼそぼそと言うと、すぐに「紳士たれ」と気を取り直し、微笑んでみせた。
「とにかく、その『ガネーシャ貯金箱』はそのまま手にお持ちください。いまは余分に思われても、この先必要かもしれません。ご友人への贈り物にもできますよ」
「うん、理緒はこういうの好きみたい。でも順平とゆかりにあげたら微妙に嬉しくなさそうだったんだよね。こんなに可愛いのに」
少女は珍しく気むずかしげに言うと、今度は胸の内ポケットから生徒手帳とペンを取りだして、フロスト◎と書かれた下に、がねしゃ×と書き込んだ。隣には可愛いゾウのワンポイントのおまけ付きだ。
「いったい何をお書きになったのです？」
「企業秘密！」
紳士らしからぬ無粋な問いに、少女は無邪気に笑った。
「企業……秘密。だが、この私に秘密になさることはないでしょう？」
「は？　それってどこの私！？」
「てっきり私は貴女を学生とばかり――いや、学生であることに間違いはございませんね。しかしまさか二足の草鞋を履いていらっしゃるとは……きっとさぞかし慌ただしくお過ごしなのでしょう」
少女のツッコミを、紳士は天然スルーした。
「うーん、と。ま、まあいいか」
と言いつつ少女はこっそり天を仰いだ。テオドアと話がかみ合わないのはいつものことだ、と達観できるほどつきあいは長くない。しかし少女はそれで不快を感じたことは不思議となかった。
「あ…、申し訳ございません。すっかり話し込んでしまいました。ご用件をお伺いいたします」
テオドアは一瞬で表情を引き戻して、いつもの案内人スマイルを浮かべた。
「うん、ありがとう。カードがたくさん貯まったから合体を頼みたいと思って」
「かしこまりました」
青年は少女を主の元へ案内して、自分はその傍らにそっと控えた。

＊＊
「――主人っ！　おい主人、しっかりしろ！！」
美鶴の、必死の声が響いていた。少女がはっとなって辺りを見回すと、そこはタルタロス内のエントランスだった。
「あ、あれ？　またぼーっとしちゃってた？」
実際はベルベットルームに顔を出していたわけだが、説明しても病気を疑われるだけだったので、公子は「もうそういうことでいいか」で納得していた。
「おいおいリーダー、ひょっとして今日はもうオツカレ侍？」
「そうなのか…！？　だが今日はまだ、一度も中で戦っていないぞ」
順平が愉快そうに声をかけると、それを聞いて真田が首を傾げた。
「だ、大丈夫。大丈夫です！　ちょっとぼんやりしていただけで」
「行けるか？」
美鶴の問いただす声に、ゆかりがむっと顔を上げた。彼女が美鶴に何事か口を開く前に、公子が脳天気な声を響かせる。
「とーぜんバッチリですよ！　――と、そうだ。ゆかりッチも一緒に来てくれるかな？　この間潜ったとき誰もガル撃てなくて、うっかりみんなで泣きそうだったんだよ〜」
「それは……もちろんいいけど。っていうか、公子までゆかりッチはやめてよね。つかなんかもう、最近順平に毒されすぎちゃってない？」
ゆかりは公子の配慮に気付いたのか、話題を変えつつ軽く呆れてみせた。
「おいおいゆかりッチー、それどういう意味！？　ていうかその言い方マジひどすぎでしょー！」
「ふふふ。でも順平君とリーダーって、いつもノリが良くて楽しそうだよね」
冗談っぽく反論する順平を、風花が楽しげに取りなす。
「もう風花は順平に甘すぎ。まあ、いいけど。でもヘンなとこまで影響受けすぎないでよ？」
「……」
まだ呆れ顔のゆかりに公子が真顔でつかつかと歩み寄る。
「な、――なに？」
「お手上げ侍！！！」
そして少女はゆかりにいきなり爽やかな笑顔でバンザイ！としてみせた。順平とは違う微妙にズレた間に、仲間が静まりかえる。明らかに誰も笑えない雰囲気だ。真田だけが不思議そうな顔で、マイペースに柔軟で身体を温めている。
「だっ、だからそういうの意味不明だっつの！！　そんなことより、早くタルタロス行くよ！？　さっさと片づけないとでしょ？」
ゆかりはヤケクソ気味に、仲間に助けを求めるように訴えた。
「確かに岳羽の言う通りだな。主人、今日は俺も出るぞ。先日のリベンジだ」
「あっれー、まさか先輩も！？　この間のガル女王不在に泣きそうだったりしちゃったりなんかしてたんすか？　え、え？俺？　俺はもちろんやっだハッズカシ――」
気合い十分の真田に、順平は騒々しくはしゃいで言った。
「ならば私も行こう。あの辺りは確か氷結を苦手とする敵が、群れをなして出現したはずだ」
美鶴もやる気を煽られたようだ。突剣を小刻みに振って、自らの剣さばきの手応えを確かめている。
「ですね。4、5体敵が出て来ちゃっても、全体攻撃手段があれば戦闘が早く終わりますから」
「どんどん凍らせましょうー！」
冷静に美鶴に答えるゆかりに続き、少女も風花の声真似をしつつ順平をスルーした。おろおろして成り行きを見守る風花も含めて、結果総スルーだ。
「ああ、任せておけ」
美鶴はゆかりと公子の顔を交互に見つめ、頼もしく請け負った。
「ならとりあえず、面子はこれで決まりだな。主人、時間が惜しい。さっさと行くぞ」
「了解です！　あっ風花、ナビよろしくね！」
「はっ、はい…！　皆さん、お気をつけて！」
真田を先頭に、仲間達が次々と転送装置の中に吸い込まれていく。
「順平、順平！」
最後に転送装置に足をかけた公子は、妙に神妙な顔をしていた。
「はいはい、ナンデスカー？」
「あのさ、なんだか張り切っていたけど。美鶴先輩――ちょっと疲れが残ってるみたいだよね？」
仲間に当然のようにスルーされたせいで、順平は明らかに不機嫌だ。しかし少女は彼の機嫌にはまるで頓着せず、無邪気な信頼を寄せた。
「……ま、ちっと顔色悪かった気がすんよなー。やっぱさすがにブランクっつーか、そもそもあのヒト普段の生活からしてイソガシ侍だろ、もう無理が当然っぽくなっちまってんじゃねえの？」
「順平君も、気付いてたんだ……」
真顔で少女の信頼に応えた順平に驚いて、風花がしきりに感心している。
「ん、そうかも。あ、氷に弱い敵を先輩に片づけてもらったら、すぐに選手交代スーパーサブだからね！　それまで風花をお願い」
「お……おう、任せとけ！って誰がスーパーサブかっつーの！？」
勢いに押されて順平が返事をすると、少女はにかっと笑って転送装置に消えた。エントランスには風花のくすくすと笑う声が響いていた。

「なんだかいいよね…。上手く言えないけど、こういう感じ。私これまで、そういうのなかったから――」
風花が小さく呟いた。その声が嬉しそうに弾んでいるのを感じ取って、順平はこっそり複雑な気持ちを飲み込んだ。
「――あ、はい！　了解です。少し待ってください！」
タルタロス内で戦闘が始まり、風花の声が真剣味を帯びる。リーダーの指示を受け、彼女はルキアで敵のアナライズを開始していた。

「ん？　何だアレ」
手持ちぶさたになった順平が見つけたのは、床に落ちている手帳だった。彼は制服の胸ポケットをまさぐって、自分の生徒手帳を確認すると、それを拾い上げて、なにげなくページをめくった。最終ページに、いつなくすまし顔をした少女の写真が貼ってある。
「あー…。やっぱアレか、お手上げ侍んときか？」
「順平君、どうかした？　あれ、その手帳って――」
手の空いた風花が声をかけてきた。
「おっ風花ちゃんもやっぱ興味ある？　えーとナニナニ……月光館学園高等部2年F組　『主人公子』、19XX年XX月XX生まれ。それから血液型は……と」
「それ、もしかしてリーダーの！？　ダメ、ダメだよ順平君！　女の子の手帳をのぞき見るなんて！！」
「なんでー？　別に見たって減るもんじゃないんだしサ？　そんなこと言いつつ風花だってホントはちっとは興味あるだろー？」
「そ、そんなことありません！」
「げっ！？」
突然、順平のページをめくる手が止まった。
「もう、順平くん。ダメ！　……って、え？　え？　どうしたの？」
「いや……。なんか中見てたらさ、なにか色々？　いっぱいわけわかんねーもんが書いてあったんだけど――。つか何コレ？」
公子の手帳のメモ欄には、カラフルな色遣いでびっしりと"何か"が書かれていた。それはどうみても日本語には見えない字のような、得体の知れない記号？というより象形文字？　が敷き詰められ、当然のように順平には解読不能だった。
「……？　でも、公子ちゃんてこんなに乱暴な字だったかな？　料理部でたまにお互いのメモを見せっこしたりもするんだけど、その時はもっと丁寧で綺麗だったような――」
「いやいや風花サン、それちょっと違う。これ明らかに暗号でしょ？」
「そうかな……？」
順平の推理に風花は首を傾げた。彼女の目には暗号というより、なんとなく『猛烈に眠い時に必死で授業を書き写したときの字』に近い雰囲気に映った。
「つかあいつ、意外と警戒心強いのかもな。だいたい普通手帳のメモ程度に暗号仕込むか！？　それとも何か？実はバイリンガルでこれはスワヒリ語とかいうオチか。いやいやありえねー」
「うん、スワヒリ語ってこんな字じゃないものね」
「え？　あ、ああうん――」
風花の天然返しに順平は苦笑して頭をかいた。
「……ま、どうでもいいか。とにかくコレ、あいつが戻ってきたら渡してやんなきゃな。つか『どこで落としたんだろー』つって今ごろベソかいたりしてなきゃいいけどさ」
「うん、そうだね。……いくらここが月光館学園でも、タルタロスのどこがどう学校に対応してるかわからないから、もし中で落としてたら探すのは難しかっただろうね」
風花は生真面目に考え込んでいる。
「はっ、もしかしてこれ、かなりのお手柄！？」
「ふふふ、そうかも。公子ちゃんもきっと喜ぶよ」
順平の芝居がかった言い方に、風花は優しく笑って頷いた。

「あ！　いけない、私つい夢中になって！？」
タルタロスからの信号をキャッチして、風花がはっと我に返った。あたふたとルキアの側に戻って、再び中からの指示をこなしていく。
「やっぱ、みんな色々あるっつか、きっとどっか無理してんだよな……」
こうして側で待機していると、風花の仕事には持続的な集中力と、瞬発的な探査能力、総合的な注意力が必要とされることが、順平にもよくわかった。風花は自分と雑談を交わしていた間も、常にルキアを展開し続け、有事に備えていた。
「出番までおとなしく休んどくか。なんたってスーパーサブだもんな」
順平は苦笑して、そう小さく呟いた。

タルタロス探索からエントランスに帰還した公子は、階段に腰かけてわずかな休憩をむさぼっていた。
「ホラ、これ渡しとく」
「……？　なにこれ、生徒手帳？」
眠たげな目で少女は順平を見あげた。
「あーやっぱ気付いてなかったワケね。よくわかんねーけど、たぶんお手上げ侍の時落としたんだろ」
「え？　え？　お手上げ侍って……あ、ほんとだ。ナイ！」
公子は胸ポケットをまさぐって絶望の声をあげた。まだ頭がよくまわっていないようだ。
「あーまあ、それはそうだろ。お前の手帳はこれ。エントランスに落ちてたから拾っといた。確かに渡したからな」
「う、うん……ありがと」
「つか誰のか確認するのに中見ちまったけどさ」
「そんなの別にいいよ。それより、本当にありがとうね！」
謝罪しかける順平に公子はぱっと明るい笑顔でもう一度礼を言った。
「リーダー！　そろそろ休憩時間終わりですけど、どうしますか？」
順平と公子のもとに風花が駆け寄ってきた。
「うん、私は大丈夫だけど――」
「ですよね。でも皆さんの疲労具合がちょっと気になって」
風花は奥で弓を支えに座り込んでいるゆかりのほうを見て言った。最初から交代を予定していた美鶴も含め、二人ともかなり疲れているように見える。
「うーん、ゆかりッチは無理そう？　でも真田先輩はまだ元気そうだし、次は3人で突入かな」
「わかりました。じゃあ、私ゆかりちゃんに伝えてきますね」
「うん、お願い。――そうだ、メモメモ。回復は先輩に頼むとして、ブフガル一緒に使えるヤツ、持ってたかな？」
「おま、それ」
生徒手帳の暗号ページを開いてぶつぶつ言う公子を見て、順平が顔をしかめた。
「うん？　この手帳？」
「いや何つーか、やっぱそれ書いた本人には読めるもんなんだな。俺はどんだけ難しい暗号使ってんだよってさっぱりだったけどさ」
「暗号？　あっ…。もしかして、いまバカにした！？　私の字が汚いってバカにした！！　風花〜順平が私を遠回しにバカにするよ〜！」
「えっ、……ええ？」
公子に抱きついて助けを求められ、風花が顔を赤らめる。
「だ、ダメですよ、順平くん。リーダーをバカにしたら」
「え！　悪いの俺！？」
「当然！！　……とか言ってこのメモさ、実は自分でも全部は読めなかったりするんだけどね」
あはは、と笑って公子は頭をかいている。このメモは、ペルソナの合体レシピや変化した魔法などを慌ただしく書き留めたり、うっかりイゴールに質問して話が長くなったときに暇つぶしのらくがきに使ったり、他愛ない雑談にテオが聞き捨てならない勘違いをしたときに図解して説明するためなどに使っていた。つまり大部分ベルベットルーム内での書き込みだ。理屈はよく分からないが、あそこで公子がメモを取ると、必ずこんな有様になってしまうのだった。
「え？　そうなの？」
「うん。でもほら、えーとなんていうかな、読めなくてもなんとなく見ると思い出すのってない？　おかしいかな」
「あ、あるかも！　それって授業のノートを見直すと、その時の教室の状況――先生がこんなことを補足で言ったとか、誰かがペンを落としたとか、そういうことも一緒に思い出したりするのと同じような感じかな」
「そう！それそれ！　さすが風花、わかってくれた〜！　順平もこの察しの良さを見習うがいいよ！」
「あーハイハイ。ソーデスネー」
留まるところを知らない女の子同士のきゃっきゃうふふに順平は白け気味だ。彼はちょっと考え込んでやがて口を開いた。
「つかさ、それはともかく。マジな話、今度から探索んときは生徒手帳は寮に置いてこいって。今日はここだったから運良く発見できたけどな、もし中だったらシャレにならないデスよ？」
「うーん、そうかな。そうだよね」
順平の気遣いを感じて、公子はしおらしく頷いた。
「他のメモ帳なら無くなっても良いってわけじゃないけど、やっぱり生徒手帳は特別だものね。写真も貼ってあるし、悪意のある人に拾われて悪用されちゃう可能性だってあるわけだし……」
「い、いや、風花それは飛躍しすぎ――でもねーか？」
順平は"例の写真"の件を思い出して、生真面目にうつむいた。
「ん、わかった。ちょうどもう書くページ残ってなかったし、探索には別の手帳を持ってくることにするよ。二人とも、心配してくれてありがとね」
「別にお前のためだけってわけじゃねーけどな」
実際タルタロスの探索に、落とし物を探す余裕などない。
「もう……順平くんってば。でも、うん、それがいいね」
「新しい手帳はピンクにしようかな？　明日ポロニアンモールで買って帰ろうっと」
「あ、公子ちゃん、明日は料理部の日だよ。もしよかったら部活の帰りに一緒に行かない？　私も調理室で使ってたノート、ちょうど新調しようと思ってたの！」
「ほんと？　じゃあそうしよっか！」
「うん、約束ね」
話がまとまったところで、向こうから真田が駆け寄ってきた。
「おい、主人。次はまだか」
「あっ、すみません。休憩時間終わってました！　すぐ行きましょう！」
「ああ。だが、美鶴と岳羽は今日はもう無理だな、いま本人たちに確認してきた。1人少なくなるが大丈夫か？」
「真田サン、任せといてくださいっす！　穴は俺がしっかりカバーしてみせますから！」
気を利かせた真田に順平が張り切って答える。
「はは、さすがに元気がありあまってるな」
「任せてください！　順平はうちのスーパーサブですから！」
まったく悪びれず公子が声を張り上げた。
「誰がスーパーサブかっ！！」
お約束で順平がノリノリで突っ込む。
「――バックアップの準備、整いました」
風花の真剣な声が響いて、突入部隊3名の表情が引き締まる。彼らは顔を見合わせて頷き合うと、転送装置に駆けだした。


＊＊
数日後、ベルベットルームには喜色満面の公子がいた。彼女は季節外れのニットとウールのスカート。おまけにマフラーまで身につけ、手には小さな赤い手帳が握られている。
「ようこそ、ベルベットルームへ」
「今日は合体に来たよ！」
勢い余って前のめりにつんのめった少女の腕を支えてやると、テオドアはどことなくそわそわした様子で尋ねた。
「ご機嫌ですね」
「うん！　あのね、コレ新調したんだ！」
「これは――手帳ですね」
「風花と一緒に色々見てまわって選んだの。可愛いでしょ？」
「ええ、そうですね」
テオドアは少女に話を合わせながら、『なるほどこれが可愛い手帳か。可愛くない手帳との差を彼女に聞いても良いものだろうか。そもそも手帳に可愛らしさが必要なのか尋ねては気分を害されるだろうか』などと考えていた。
「それでね、ちょっと遅くなったから夕飯はバーガー屋で食べていこうかって話してたら、偶然ゆかりッチがお持ち帰りでレジにいたから、結局三人で新作バーガーを買って帰ったんだ」
「なるほど。そうでございましたか」
少女の世間話をテオドアは興味深く聞いていた。
「――あ、ごめん。テオはこんな話してもわからないよね」
知っていますよ。巖戸台駅前にあるワイルダック・バーガーの肉にまつわる噂の真相や、はがくれのスープの秘密、海牛の牛丼・並盛りのごはんに染みこむ汁の量ばかりかその成分や温度までですよ？　テオはそう言いかけて、しかしやがてつまらなさそうに口をつぐんだ。
「では、ご用件をお伺いいたします」
「じゃあ合体で」
公子はまるでラーメン屋に注文するように答えた。一瞬、テオドアの顔が「私へのご用件はないのですね」と言わんばかりにしゅんとなったことに気付いて、慌てて付け加える。
「ええとね。イゴールさんの言う通り、合体も他のことも色々試したり、頑張ってみようかと思ってるんだ。何事も努力が足りなければ負けるって、真田先輩も言ってたし」
「なるほど――。では私もより一層貴女のお力になれますよう、更なるご協力をお約束いたします」
少女の口から毎日のようにあふれ出る"友人"の名を、テオドアはもうすっかり覚えてしまっていた。彼らの名が話に出るたびに、胸の奥が疼くことに彼が気付いたのはつい最近のことだ。けれど、その理由はまだわからない。
「うん、全書からペルソナを出し入れしたりとか、テオも面倒かもしれないけど、これからもよろしくお願いします」
「いけません…！」
少女がバカに他人行儀に頭を下げたことに耐えられず、テオドアは悲しげにかぶりを振った。
「え？　ダメ？」
不安げに瞳を揺らす少女を見て、青年ははっと我に返る。
「ええ、いけません。貴女は私の大切なお客人なのですから。どうか遠慮なさらずお申し付けください」
「あ、うん――」
「申し訳ありません。貴女を、驚かせてしまいました」
テオドアは公子の頬を優しく撫でた。なんとなく照れくさそうな少女の声が響く。
「あ、その……もう平気だよ。でも、聞いてもいい？」
「もちろんです」
「イゴールさんやテオは、どうして私に力を貸してくれるの？」
いつでも物腰柔らかで、しかし何を考えているのかいまひとつわからない青年に、少女は初めてあった時からの疑問をぶつけた。
「主の命に従い貴女というお客人をおもてなしさせていただくことは、私の務めにございます」
「そ、そうなんだ――」
迷いのないテオの言葉に、少女はなんとなく自分が落胆していることに気付いた。
「さて。合体をご希望にしては、お手持ちのペルソナが心許ないご様子ですね」
「うん、今日は骨董屋さんで武器合体を頼んだりもしたから。イゴールさんにお願いする前に、ちょっと全書を見せてもらってもいい？」
「かしこまりました」
テオドアはいつもの案内人スマイルを浮かべて頷いた。

少女はペルソナの合体レシピを丁寧に手帳に書き付けつつ、いくつものイゴールの実験に立ち会った。いつもは主の傍ら影のように静かに控えるテオドアだが、今日はいつになく落ち着きがない。
「お客人、ここまでにされますかな？」
「うん、そろそろ帰るよ。順平とさおりんのおかげで、かなりレベルの高いペルソナが作れちゃったし。あ、もちろんイゴールさんがここで合体をしてくれるおかげでもあるけど」
と、少女はにこにこ顔で席を立った。いつのまにかテオドアが少女の隣に移動しており、彼女を見送るためにその手を取っていた。テオドアのこの振る舞いには最初とまどった公子だったが、さすがに何度か通う間に慣れていた。というより、青年は初見からなんとなく『自分はこのやり方しか存じ上げません』という不器用オーラが出まくりだったので、あまり強く言えなかったというのもある。
「では、お見送りを。――またのお越しをお待ちいたします」
「ん、いつもありがと」
少女は引かれた手をほどいて、そのままなんとなく青年の頬を撫でていた。いつもテオドアが公子になにげなく取っている態度だが、彼は自分がされてずいぶん驚いたようだ。少女をぼんやりと見つめ、絶句している。
「わ、私の頬は、痛くありませんよ」
「知ってるよ」
なんとなくむっとした表情のテオドアに、公子はすまし顔で言った。
「そうですか？　……その、よくお似合いですよ」
「は？」
相変わらずテオドアの会話には脈絡というものがない。公子は首をかしげた。
「その服です。本当は貴女がいらした時に申し上げたいと思いましたが、言いそびれてしまいました」
何故か偉そうにテオドアは言った。今日の公子の服は、確かに先日彼から受けた依頼の報酬だった。この時期に冬服？つかマフラーはマジどうなの？などと順平からからかわれまくりだったが、少女は頑としてこの日の探索をこれで通していた。
「本当に、よくお似合いですね」
「そ、それはもう聞いたよ」
テオドアがしみじみと、本当に心の底から嬉しそうに微笑んでいるので、少女は思わず頬を赤らめた。
「この間、仕立てに拘ったって言ってたし、だから季節外れでも着てみたんだよ。で、でもサイズもぴったりだし、軽くて着心地いいね、これ。――じゃ、じゃあ、帰る」
テオドアの返事を聞かず、公子は言いたいことだけ言ってバタバタと出ていってしまった。扉の前に取り残された青年が肩を落としてつぶやいた。
「慌ただしい方ですね。お礼を、言いそびれてしまいました」
いつもの案内人スマイルではなく、テオドアは少し寂しげに眉を寄せて、それでも口元には確かに微かな笑みが浮かんでいた。

終