SS.

あんたの願いが、叶えばいいのに

あんたのこと
いちばんよく知ってるのは、
絶対に、あたしだから
隠してたってわかるんだから

でも、あんたがそう思うなら
あたしは聞かない
あたしは知らない

でもいつだって願ってる
あんたの願いが、叶えばいいのにって



ある日の午後。
リシェルとフェアは忘れじの面影亭のテラスで、他愛ない話をしながら、おやつを食べていた。

リシェルは本日3個めの「赤い実の完熟プリン」を口に運びながら、向かいに座って紅茶をすすっているフェアに声をかけた。

「ねえねえねえ、あんた知ってた？」
「…何が？」
「龍人の角がさ、実は、魔力の塊だってコト」
どうしていきなりそんなことを？
そんなことを思いながら、フェアは頷いた。

「うん、どっかで聞いたことがあるよ。龍は角がその魔力の源って、たしかそういう話だっけ？」
「そうそう」
「で、それがどうしたのよ？」
「んー…」リシェルは勿体ぶりながら続けた。 「この間、パパの所に来た客が言ってたんだけどさ。………聞きたい？」
「別に」
フェアの冷たい返事に、リシェルはバタっとテーブルに突っ伏して、ぷーっと頬を膨らませた。指でつつけば破裂しそうだ。

「あんたねえ…！せっかくの女の子だけの午後のお茶会を、和やかに過ごそうって、そういう気持ちのかけらもないワケ！？」
「女の子だけの、って…。それはさっきリシェルが無理矢理、ルシアンを先に帰したからじゃないの。飲み物は無理だけど、こっちは包んだから。ちゃんと持って帰ってあげてね？」
そう言って、フェアはクッキーの包みを、リシェルの前に差し出した。

「ああもおっ。うるさい、うるさーい！たまに女の子だけで優雅で華麗なお茶会を楽しんだって、ぜったいにバチは当たらないわよ！？」
「ああ、はいはい…わかったわよ、もう。…で？　そのお客さんが、何だって？」
フェアは諦めたように笑って、紅茶をもう一口すすった。
「あ…うん。そう、そのパパのお客さんが言うにはさー」
「…言うには？」
「その人の住んでる村には、昔から、『龍人の角に触れて3回願い事を唱えると、それが叶う』って言い伝えがあるんだって…！」
「へー……」

フェアがこれ以上ないほどに適当な相づちをうっていると、リシェルがまた頬を膨らませて、憤然と抗議してきた。

「なによお、あんたちょっとノリが悪いわよ！」
「だって、そんなのよくある迷信でしょ！？」
フェアの応対もやや喧嘩腰になっている。
「だいたいリシェルだって、そんな話、信じてもいないくせに」
「…まあねえ？」
リシェルはテーブルに身体を預けたまま、フェアの目をのぞき込んだ。優雅さなど、かけらも感じさせない体勢だ。
「でもさ、ひょっとしたら、ひょっとするかもって思わない？」
「…？」
「だってさ、龍人の角がすごい力を持ってるのは確かなコトなんだし。
うちのセイロンを見たって…角のあたりから、バンバン魔力出てる感じじゃん？」
「それは…まあ、そうだけど」
フェアは一瞬セイロンを思い浮かべて納得し、しかしすぐに思いついたような表情になった。
「…読めたわよ、リシェル。さっきから、妙なこと言い出すなと思ってたけど…。
あなたもしかして、何か願い事があるとか？　先に言っておくけど、プリン4個目は絶対ダメよ？」
「もー！ちがうってばー。あたしはそんなに食い意地はってないわよ！」
「そんだけ食べといて、よく言うわね…」
「とにかく！あたしには願い事なんかない。ないったら、ないの！…わかった？」
「はいはい…」

あきれ果てるフェアに、リシェルは不意に水をむけた。
「でもさ、そういうあんたは？」
「は？」
「ねえ…なんかないワケー？」
リシェルはつまらなさそうに地団駄を踏んでいる。行動だけみると、とてもいいところの娘とは思えない。フェアはもう一度考え込んで言った。

「そんなこと、急に言われても…。わたしも、別にないと思うけど……？？」
「はああああ……だーめだこりゃ…」

リシェルがこの世の終わりを見たかというほど大げさに、大きくため息をついてみせた。
「なによリシェル、ため息なんかついちゃって。だいたいこれは、『優雅で華麗なお茶会』なんじゃなかったの？」
いたずらっぽく笑うフェアに、リシェルはぼそぼそと言った。
「…やっぱあたし、願い事、いっこあったかもしんない……」
「そうなの？…どんな？」
フェアは身を乗り出してリシェルの返事を待った。
「うん…フェアがさ…」
「？　わたしが…？」
「もうちょーっと、素直になれますようにって！　あはは！この際ここの龍人様にでもいいから、ちょっくら行ってお願いしてきたい気分だわ」
「………」
「どうしたのよ、変な顔して？」

けろっとした顔で、リシェルはフェアを見つめた。
リシェルが誰に対しても平等に、無神経で、不遜で、やりたい放題で、だがしかし悪気だけはない、とよく知っているフェアではあるが、ついにその堪忍袋の緒は切れた。
「あのねえ、リ・シ・ェ・ル…？　いい加減にしないと、わたし、本気で怒るわよ…！？」
こっちは真剣に聞いてるっていうのに！！とフェアは仁王立ちになって、リシェルを睨みつけた。本気で怒るわよ…？じゃなくて、もう本気で怒っちゃってるじゃないの！　やはり長年の経験から、その怒りが冗談でないと勘づいたリシェルは、テーブルから慌てて跳ね起きて、とってつけたように言った。

「ああーっと！！あたし、急にちょっと用事を思い出しちゃった。そろそろ帰るわ！！」
「む……っ！？」

リシェルはテーブルの上からすばやくクッキーの包みを掴み取ると、 まだ険しい顔のフェアの顔をのぞき込んで、こっそりと耳打ちしするように告げた。
「ま、願い事云々はおいとくとしてもさ、
あんたが頑張らないと、ぜんぜん見込みないわよ？」
「！？」
「どっちも鈍いっていうか…、なーんかズレちゃってるみたいだしね？」
「だーかーら！何の話よ！？」
フェアが思わず大声を出すと、リシェルは既にテーブルから離れ、走り出していた。

「あははっ、わかんなきゃいいわよ。じゃあね、また明日！　あっ…考えすぎて、寝坊なんかするんじゃないわよー！」
リシェルは陽気に手を振りながら、そんなことを言った。

まったく…何なのよ！
リシェルったら、わけわかんないことばっかり言って…。
「ほんとになんなのよ！わかんないわよ！」

食い逃げの上、言い逃げまでされた悔しさもあいまって、フェアは思わず大声で叫んだ。

「リシェルのばかあー！！食べ終わったんなら、あと片づけぐらい、していけえーーーっ！！！」

その絶叫は、ご近所中に響いていた。

＊＊


「あっはっは！相変わらず、賑やかなことだな」

フェアの絶叫を聞きつけて、セイロンが奥からひょっこり顔を出した。

「セイロン…」
「おや、リシェルとルシアンはもう帰ったのかね？」
「…うん。食べるだけ食べて、わけわかんないこと言って、たったいま帰ったとこだよ」
「そうか…」
トゲのある言い方過ぎたかな、とちょっと反省しながら、フェアはセイロンに尋ねた。

「もしかして、あの子たちに何か用事だった？」
いや、実はリシェルから借りた書を読み終えたので、おるなら返そうと思って来たのだが」
「へえ、リシェルから本なんて借りてたんだ……」

フェアがちらりと見ると、セイロンの手には可愛らしいピンク色の本が収まっていた。
「……って、ええっ！？」
「どうした？」
「セ、セイロン…あな、あなた…それ、もしかして、読んだの！？」
「もちろんだとも」

その本の表紙には、しっかりと『恋する乙女の左は世界を制す』とあった。
今更言うまでもない、リシェルの愛読書。リィンバウム中の乙女達に「恋する乙女のバイブル」とも呼ばれる、少女のための恋愛小説シリーズの一冊である。
セイロンにはえらく不似合いな可愛らしい装丁と、その顔をまじまじと見比べながら、もう一度フェアは尋ねた。

「…ど、どうだった？」
「ああ。荒唐無稽な話で、なかなかに楽しめたぞ？」
「そ…そう…。なら、いいんだけど…」
セイロンに少女恋愛小説を貸そうと思ったリシェルもよくわからないが、それを読んで平然と「面白かった」と返すセイロンもよくわからない。別に男の人が少女向けの恋愛小説を読んではいけない、なんて決まってるわけじゃないけど……でも…でもね………？それってどうなの！？
フェアは内心、かなり複雑だった。

「まあ、急ぐ話でもないので、明日でも構わぬのだがな」
セイロンはそう言って、本を大事そうにテーブルに置くと、そこに残る食器をまとめて片づけはじめた。

「あ、いいよ。わたしがやるから…」
「いや、かまわぬよ。我はいままで部屋で休んでおったのだしな。そなたはいましばらく、ここで休んでおれ」
「…う、うん。じゃあ、ありがと……」
「ああ、任せよ」
手際よく茶器の後始末をするセイロンを眺めながら、こういう姿もずいぶん板に付いてきたな、とフェアはぼんやり思った。シャオメイの知り合いが、龍姫様の手がかりを見つけてくれるのを待つ間、ここに住まわせて欲しいのだが。セイロンがそう言ってから、もうしばらく経つ。
フェアはテーブルの上の本に、なにげなく目をやった。ふと、あることに気づいた。

「ねえ、セイロン？」
「ん？」
「あのさ、シルターンとリィンバウムでは、使ってる字が全然違うんでしょ？」
「うむ」
「なのにそれ、ええとその…小説、よく読めたわね。いつの間に勉強したの？　それとも最初から…？」
一般的に召喚獣はリィンバウムで使われている文字を読むことができない。
召喚されて来た時に、そのシステムによって話をしたり聞き取る能力は付加されるものの、 文字の読み書きはそれとはまた別の管轄らしく、本人が後に学ばぬ限りできない事が普通だ。だが、セイロンは普通の召喚獣とはちょっと種類が違う。事情もすこし違うかもしれない。しかしセイロンはあっさりと言った。

「いや、本格的にこちらの読み書きを学んだのは、やはりこちらに来てからだな」
「そうなの？」
「ああ、里の…ラウスブルグの中におった、文字の読み書きができる者に習ったり、 それに…大きな書庫もあったのでな、それもずいぶん読ませていただいた。
本当に、助けられたよ」
「そっか…。セイロンはそうやって簡単そうに言ってるけど、その時はきっと大変だったんだろうね…？」
「いやいや、それがそうでもなかったぞ？」
「そうなの…？」
「うむ。楽しかった、とさえ言えるかもしれぬな。書物は様々なことを教えてくれる。
歴史や文化から、市井の人々が考えておることまで。…実に効率的にな」
「うん、まあ、それはそうなんだよね…。でも、わたしは本ってなんかダメだな。読んでると、なんだかすぐに眠くなっちゃってさ…」
「あっはっはっは！　それは店主殿が、その書物を、必要としておらぬからだろうな」
「む…」

セイロンの言葉は、裏を返せば、彼にとってそれが必要だったと言っていた。
フェアは彼に尋ねた。

「…セイロンが本からの知識を必要としたのってさ、やっぱり、龍姫探しに役に立つから…？どこを探すにしても、人と言葉も通じない、右も左もわからない状態じゃ、話にならないし…」
「ああ、それもあるな」
セイロンははっきりと頷いた。
「…それだけじゃないってこと？」
「うむ。この地で龍姫様をお探しすることは確かに我の役目だが、同時に修行でもある。前にも話したが、『全ては修行』とそう思っておるのだよ」
「それは、セイロンを見てればわかるよ。…なんとなくだけど」
「そうかね？」
「…うん。誰かにやれって言われたからやってるんじゃなくて、うまく言えないけど、それがもう完全にセイロンのものっていうか…誰のものでもない、身体の一部みたいになっちゃってる感じがする」
「……店主殿」
「あ…それが、良いとか悪いとか、そういうことを言いたいわけじゃないよ、もちろん」
フェアはそう付け加えて、セイロンの顔をちらりと仰ぎ見た。彼は一瞬小難しげな表情を浮かべ何か言いたそうにしたが、すぐにそれを諦めたようだった。

竜に至る道を歩むセイロンにとっては、日々生きることそのものが修行なのだ。
龍姫様を探すことも、ラウスブルグで竜の相談役を務めていた時も、御使いとしてリュームに仕えたことも。命がけでギアンたちと戦っていた日々ですら。
そう言葉にできたわけではないが、フェアはなんとなくそう感じた。
ならば、いま現在、姫の情報を待ちながら、宿屋の手伝いをして暮らすことも『そう』なのだろうか。こうして、自分と食事をしたり、話をしたり、笑い合ったりすることも……？
たぶん、そうなのだろうとフェアは思った。
そしてそれが何故かひどく寂しかった。

「…店主殿？」
セイロンの声が、フェアを思考から目の前の会話に引き戻した。
「あ、ごめん…。ええと、わたし、なんだか変なこと言ってるよね？」
セイロンは穏やかに微笑んだ。
「いや…そんなことはない。そなたのいうことは、なにも間違ってはおらぬよ」
炎と同じ色をしている澄んだ瞳に見つめられて、フェアは思わず俯いた。 それをごまかすように、言葉を繋いだ。
「あはは、やっぱりまだわたしには、セイロンの言うことは、難しくてよくわかんないかも…」
「あっはっは」セイロンいつものように陽気に笑って、どこか子どもをあやすような調子で続けた。
「この話こそが、店主殿にはまだ必要のない話。…だったかもしれぬな？」
その言葉が、目の前の少女の心に、重く響いたことも知らずに。


願いごとひとつ【Desire】に続く