SS.

　ギアンは言った。自分は『望まれぬ生命』だと
　わたしやエニシアとの絶対的な違いは、そこにあると

　でも、ほんとうにそうなのかな？
　誰にも望まれない命なんてない
　わたしはそうだと信じてるけど
　それを人に言う権利が、わたしにあるのかな
　傷つけてしまうことが、わかっているのに

　世界に絶望して、ひとりぼっちで泣いていた少年の夢は
　涙ですぐに見えなくなってしまった
　もうすこしはやく、君と手をつなげたらよかったのに
　そんなことを思いながら眠った
　夜明け前──。



「…店主殿。店主殿…？」

すこし埃っぽい、枯れた草のような香りがしていた。
セイロンがめずらしく夢に出ているのは、きっとこのせいなんだ。
夢の中で、フェアは思った。

『よく聞け、店主殿よ。これこそは鬼妖界仕込みの秘伝！　どんな傷もたちどころに癒やす軟膏なのだよ！』

夢の中のセイロンはいつにも増してハイテンションで、うさんくさかった。

『それ……ほんと？』
『うむ、もちろんだとも。中身を知りたいかね？』
『ううん、遠慮する』
『つれないのう……』

セイロンはガッカリして肩を落とした。ありえない。さすが夢。すべてがオーバーリアクションだ。
フェアは夢とわかっていながらそうすることに躊躇しながら、それでもセイロンに向かってたずねた。

『セイロン、心の傷も…それで治るかな？』
『心の傷…？』

夢のセイロンは一瞬だけ真顔になって、すぐに困ったように笑った。

『さすがにそれは無理だな。あっはっは！』




「う…ん……かんぽー…は…もうい…い…」
「……？　寝ぼけておるのか…？」
「………。ごめん…ね…」

続いて少女の口から、敵の首領というべき男の名がこぼれた。
さて、いったいどんな夢を見ているのであろうか。
もし辛い夢ならば、覚まさせてやりたいと思うのは我が侭か。
そんなことを考えながら、セイロンは泣き疲れて眠る少女の髪をそっと撫でた。

「う…ん……」
「……どうした？　店主殿」

優しげな声に、フェアはぼんやりと目をあけた。
大きな手が、優しく頬に触れていた。暖かくて、心地いい。
それに、なんだか安心できる。

「………ねむ…い…」
「ふむ…それはすまぬことをした。では、このまま朝まで、ここで眠ってゆくか？」
「………」

徐々に頭と視界がはっきりしてきた。
空色に統一された室内の装飾品。薄暗いランプの明かり。
そしてすぐ目の前には、セイロンの人の悪い笑顔があった。
フェアは慌てて跳ね起きた。

「…ええっ！？」
「おや、やはり、起きることにするかね？」
「わ、わたし、ひょっとしてあれからずっと寝ちゃってたの？」

青くなる少女にセイロンは平然と頷いて返す。

「ずっと眠っておっても、我は一向に構わぬのだがな？」
「ふ、ふざけないでよ、セイロン！」
「あっはっは！そう怒るな」

セイロンは愉快そうに笑って続けた。

「あんな奇跡をやってのけた直後なのだ、眠っても眠りすぎということはあるまい。寝る子は育つともいうし、な」
「う……。あれはただ疲れただけで、別に具合が悪いわけじゃ…」

フェアはそう言って口ごもった。とは言うものの、確かにあれからいくら眠っても眠り足りないような、妙な状態が続いているのは確かだ。やっぱりまだ、疲れているんだろうか。思案顔の少女をのぞき込んで、セイロンは優しげに尋ねた。

「ああ、見たところ身体の調子自体は悪くなさそうだがな。……すこしはすっきりしたかね？」
「え…？」

忘月の泉でギアンと話した後、自分の居場所に不安を感じて大泣きしていた少女は、いまはベッドの上にちょこんと座って、もじもじと恥ずかしそうにしている。

「あ…、う、うん。ごめんね、その、いろいろと話を聞いて、励ましてもらっちゃって。おかげですごく元気が出たみたい」
「うむ、それならば良いがな」
「みんなにはね、明日ぜんぶ正直に話そうって思って。ギアンに『仲間にならないか』って誘われたことも、自分の居場所はここじゃないって言われて、不安になってたことも……」
「ああ、そうしてやるがよい。みな本当にそなたを心配しておったのだからな」
「うん、そうする」

フェアはセイロンを物問いたげに見上げた。
夢の中ではあんなに強く感じた香りが、いまはもうしていないのが不思議な気がした。

「どうした、店主殿？」
「ええと。セイロンって、いつもちょっと変わった香りをさせてるよね？　シャオメイのお店の中とすこし似てるっていうか」
「そうかね？　確かあの占い師の店では、香をたいておるようだが」
「セイロンは、そういうのやらないの？」
「うむ。しかし、はて…洗濯はしておるつもりなのだがな…？」

そう言って、セイロンは怪訝そうに袖を鼻にあて匂いを嗅いでいる。その様子がなんだか幼い子どもじみていて、フェアは笑ってしまった。

「あはは、ごめん。そういう意味で言ったんじゃないよ。さっきここで寝てた時、夢の中でなんだかセイロンの作ってくれる薬湯っぽい匂いがしたような気がしたから……」
「薬湯……！？」

大げさに驚く青年に、少女が首を傾げる。

「な…なんでそんなにびっくりしてるの？」
「いや。店主殿が夢にまで見るほど、我の薬湯を好いておったとは……にわかには信じられなかったものでな。そなた、いつもミント殿の茶のほうが、数倍うまい上に効果も抜群などとぬかしておるだろう？」
「え？」

どこかズレた勘違いにフェアは突っ込む機会を失った。

「よし、そんなに気にいっておるなら、さっそく我が作ってきてやろう♪」
「ちょ、ちょっと待って！？」

今から？この真夜中に？あの奇声を！？
…近所迷惑じゃない！
フェアはとりあえずセイロンの腕を掴むと、まあまあと彼をその場に引き留めた。

「い、今はいいよ？　ほんとに、いいから！」
「なあに、すぐできる。遠慮することはないのだぞ？」

一方セイロンは上機嫌で少女をベッドに押しとどめる。

「え、遠慮なんてしてないってば！？」
「あっはっは。まあよい、任せよ。そなたは大人しく座っておれ」

フェアに腕を掴まれたまま、しかし既に扉に手をかけようとするセイロンに、彼女は仕方なく後ろからタックルをかました。

「だから、要らないって！！」その瞬間、ドン！　と鈍い音が響いた。
「……っぶ！？」

突き飛ばされた勢い余って、セイロンは真っ正面から扉に顔を突っ込んでいた。

「…………」

フェアが背中に抱きついたままおそるおそる見上げると、広い肩が小刻みに震えている。まずい。背中が怒ってる。少女は大慌てで謝罪を口にした。

「ごご…ごめんセイロン……！」
「まったくそなたは。元気があるのは結構だが、もうすこし落ち着くがよいぞ？」
「ごめん。ほんとにごめんなさい！あの、悪気があったわけじゃ……」
「悪気があった、などと申されてもこまるがな？」

セイロンは赤くなった額をさすりながら、呆れたように言った。申し訳なさそうに少女が言葉を失う。

「う……」

そのまま一緒に黙り込んでしまったセイロンに、フェアはおそるおそる声をかけてみた。

「セイロン？」
「どうした？」

あ、返事をしてくれた。声の調子も普通だ。安心してフェアがその顔を見上げると、青年が困ったように笑っている。

「？　どうしたの？」
「いや、店主殿が良いなら、我も構わぬが。そんなにそなたは、我にはりついていたいのかね？」
「ええっ！？」

言われてフェアは大慌てで身体を離した。心臓がばくばく鳴っている。意識した途端に頬が熱くなるのがわかった。追い打ちをかけるように、「あっはっはっは！」とさも愉快そうな笑い声が響く。

「ち、違う！違うよ！？これは！？」
「ほう、何が違うのだ？」

セイロンは更に意地悪そうな笑みを浮かべて言う。

「だっ…だから……っ！」
「ふむ？　どうした、店主殿？」

あきらかに自分の反応を面白がっているセイロンの視線に耐えられず、
フェアは叫んだ。

「も、もういい！わたし部屋にかえ…」
「おっと、待つがよいぞ」
「ひゃあ！？」

その瞬間フェアの身体はセイロンに抱え上げられ、ふわりと宙に浮いていた。

「これ。そう大声を出すな、人聞きの悪い。まるで我がそなたを取って食おうとしているようではないか」
「ちちち違うの…？」
「さて、どうであろうな？」

セイロンは口の端を上げて意地悪く笑ってみせた。

「〜〜〜〜っ！？」
「ははは、薬湯は要らぬようだからな。しばしつきあえ」

そんな事を言いながら、青年はフェアを抱えたままベッドに腰をおろした。

「ちょ、せ、セイロン？」
「なんだ、やはり薬湯のほうがよいかね？」
「い、いらないよ…っ！」

ぶんぶんと首をふる少女にセイロンは苦笑しつつ、後ろからぎゅっと抱きしめた。

「……！　セ、セイロン…あの…」

フェアは身体を強ばらせ、声をうわずらせた。
治まりかけた動悸がまた強くなる。身体が熱い。

「ふむ……駄目かね？」
「だ、駄目って…ななななにが…？」

笑いをかみ殺していることは気取られぬように、セイロンはごく優しく、ささやくように少女に耳を寄せる。

「うむ、そなたが嫌でなければ、しばらくこうしていてやろうと思ったのだが……」
「……え！？」
「店主殿は嫌かね？」

その聞き方はずるい。卑怯だ。
有無を言わせない雰囲気で言うのも凶悪。
本人は絶対に計算してやっている。それに面白がっている。
フェアは軽いパニックを起こしながら、内心で悪態をついた。
だいたい「こうしていてやる」とは何よ。
なんでそんなに偉そうなの？
わたしのこと、そこらの犬か猫と一緒にしてない？

「いや！」

フェアはつっけんどんに答えた。
勝ち負けの問題ではないかもしれないが、もう完全に負けている気がする。しかし女は度胸。ここは心意気だ。
フェアは真っ赤になって、やや強い口調でもう一度、はっきりと言った。

「絶対に、やだ！」
「はっはっは、つれないのう」

セイロンはそう言いながら、抱きかかえた後ろから、フェアの目をそっと閉じさせた。

「…！？」
「疲れが抜けぬのは、マナの制御がうまくいっておらぬからだろうよ」
「……え？」

それを整える手伝いを、我にさせて欲しいのだ。
嫌であろうが、すまぬがしばらく我慢してくれぬか？
穏やかな声が聞こえた。

「我慢できるかね？　フェア」

こんな風に、いきなり真面目になるのもずるい。
あまりに優しい物言いに、フェアは「うん」と頷くのが精一杯だった。

「しかし、まったく『慈雨の大奇跡』とはよく言ったものだな。あの時この街には、そなたと、そなたの母親のマナが、まるで本物の雨のように降り注いだ。まことに優しく暖かい、美しい光であったよ……」

優しく少女を腕に抱いて、寝物語でもするようにセイロンは続けた。

「大量のマナを一度に放出せねばならなかったあの時の状態を、まだそなたの身体は完全に忘れておらぬのだろう。少々混乱しておるのかもしれぬ。そのため、マナがだだ漏れになっておるのだよ」
「……だ、だだ漏れ？」

フェアが怪訝な顔で見あげているのに気づいて、青年は機嫌良く答えた。

「うむ。まあ、それはちと大げさだがな。言うなれば、今のそなたは、穴の開いた鍋のようなものだ。これではいくらマナがあっても足りぬだろうし、疲れもするな。あっはっはっは！」
「穴のあいた……なべ……」

もうちょっとましな例えはないのか。
色気も何もない例えにがっかりして、フェアはため息をついた。それでもこうして目を閉じて、セイロンの低い声を聞いていると、なんだかとても安心できる気がした。背中からは深く静かな息使いが、規則正しく伝わってくる。いつしかフェアも知らず知らずのうちに、正しいストラの呼吸になっていた。
戦いの時に回復で使うストラとは、ちょっと違う気がする。アルバが怪我をしていた時、自然回復力を高めるためにセイロンが治療に使っていたものに、似ているかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、フェアのまぶたは徐々に重くなっていった。

「……眠ったか」

少女が眠りに落ちたことを確認すると、セイロンは彼女をそっとベッドに寝かせて、自分は気持ちよさそうに伸びをした。

こういったマナの調整は、本当はリビエルのほうがずっと向いておるのだがな。そんなことを考えながら、彼女が風邪をひかぬように、起こしてしまわぬように、などと細心の注意で毛布をかけてやっている己が、なんとなくおかしかった。

「やれやれ……。我にも困ったものだよ」

厚いカーテンのむこうは、既に夜明け前。
東の空にはじき太陽が顔を出すだろう。
セイロンは自嘲気味につぶやいて、もう一度フェアの髪をそっと撫でた。

終