SS.

君は言った。誰にも『望まれない命』なんてない
ボクの考えは間違っている、と

でも、ほんとうにそうなのかな？
正しい答えは、必ずしも人を救わない
ボクの手は血で汚れ、もう取り返しはつかない
君を認めてしまうことは、
これまでのボクを、否定することに他ならない

世界に絶望した幼いボクに、夢でそっと寄りそった少女
悲しませていることがわかった
もうすこしはやく、君を見つけられたらよかったのに
そんなことを思いながら、眠れずに過ごす

夜明け前 - The reverse -



「ギアン様。お出かけになられるのですか…？」

避難船ラウスブルグ内。
守護竜の間から悠然と出てきた主を、クラウレは呼び止めた。

「ああ。心配はいらないよ、クラウレ。可哀想な同胞をひとり、迎えにゆくだけのことだ」

「ですが…」

クラウレはギアンの身を案じていた。
竜の子を奪う計画の失敗からこの数日、主が休むところを見ていない。
いくら彼が生命力の強い幽角獣の血を引いているとはいえ、不眠不休でそんなに長く身体が保つはずがない。

「外界がすっかり明るくなってからでは、さすがに目立ってしょうがないからね」

「ならば、ご一緒いたします」

「おまえには、他にやるべきことがあるだろう？　それともそちらの準備はもう、すっかり終えてしまったということかな？」

「……いえ」

クラウレはギアンに命じられ、トレイユの街はずれにある農園に火種をひとつ、仕込んでいる最中だった。
黒い雨で受けたダメージがニンゲンどもに残っている間に、虐げられてきた亜人の復讐心を煽り、大規模な反乱を起こす。
それがギアンが自分に描いて渡した絵図だ。

「よろしく頼んだよ。長年虐げられてきた亜人の心を奮い立たせるには、おまえのような者が説得にあたるのが、一番だからね」

「…は」

クラウレにはギアンの真意がいまひとつ掴めずにいた。
反乱は、亜人と我々の利害が一致しているからこそできると主は言った。
亜人は反乱の成功で自由と誇りを取り戻し、我々は鎮圧に出てくるであろう竜の子を、その混乱に乗じて捕らえる機会を得る。

だが、おそらくそれだけではないのだろう。クラウレは思った。
主は常に先の先を見据えて動いている。
自分には及びもつかないことを考えている。
そして決定的なことがひとつ。
主は、誰も信じていない。
だからこそ、その心の内を誰にも話すことはない。
しかしそれでも自分は、主を信じることをやめるまい。
どれだけ心が虚しく騒いでも、この御方は決して独りにすまい。
そんな風に考えていた。

「わたくしを、お連れくださいまし」

ギアンとクラウレの会話に、突然割って入る声があった。
長い廊下の先には、半魔の女性がきっと二人を見据えていた。

「やあ、ポムニット」

「ギアン様、いまお一人で外界にお出かけになるのは、危険でございます」

どうか、わたくしも一緒におつれくださいまし。
ポムニットはもう一度言って、うやうやしく頭を下げた。
そのどこか反抗的なまなざしと慇懃無礼な態度が腹に据えかねて、クラウレは声を荒げ、槍を構えた。

「貴様、控えよ！」

「構わないよ、クラウレ」

ギアンは悠然とそれを諫めた。

「…ポムニット、また姫に何か頼まれたのかな？」

「いいえ。姫様には何の関係もございません。すべて、わたくしの独断にございます」

「そうか…。姫を勝手に外へ連れだしてみたり、人の良い獣皇を騙して『浄化の種火』を持ち出してみたり…。まったく君は、よほど独断が好きなようだね、ポムニット？」

そんなに『仲間』が心配かい？
そう言いたげにギアンは薄く笑った。
ポムニットの『独断』は、すべて仲間をかばう言い訳だ。
そしてその言い訳が、たとえバレバレであろうと、すんなり自分に受け入れられることも計算している。
反抗的な目を隠さないのは、己の命より大切なものがあることを、いや、そのためなら命など惜しくないのだと、自分にわからせるためだ。
そんな彼女のしたたかな強さとギリギリの抵抗に、ギアンは敬意を表して言った。

「君は己の価値をよく知っている。そういう者は、私は嫌いではないからね」

「……」

「そんなにかつての仲間と戦いたいと言うのなら、私は止めないよ。
もしフェアがこちらに来ることを拒んだら、望み通り、すぐにでも下に呼んでやろう。それまではここにいて、いつも通り姫のお相手をしているがいいさ」

「…ありがたき幸せにございます」

空々しい声とバカ丁寧な会釈を残して、ポムニットは立ち去った。

「ではな、クラウレ」

「…ギアン様！」

「何だい？」

「………」

やはり供も連れず、お一人で行かれるのですか？
喉まで出かかった台詞をクラウレは止めて、黙り込んだ。
ギアンはそんな彼の様子を見て、ちょっと考え込んで尋ねた。

「クラウレ、おまえはどう思う？」

「…は？」

「彼女が『こちらに来る』、そんなことを言うと思うかい？」

「おそらくは…」

クラウレは言葉を濁した。
彼女とはもちろん、先の件で「響界種」であることが発覚したフェアのことだ。
主がが彼女に接触し同胞としてこちらに招いたことは、クラウレも聞かされていた。

「…おそらくは？」

「………」

あの娘が、『こちら側』に来るなどと、言うとは思えない。
確信に近い思いが、逆にそれを口にすることを拒ませた。
言葉に詰まるクラウレの心を弄ぶように、ギアンは薄く笑った。

「君は正直だな、クラウレ。私もそう思うよ」

「ギアン様…」

「だが必要なモノは、手に入れなければならないからね」

ギアンはそう言うと、転移の術を発動させた。
忠臣がまだ何か言いたそうにしているのを超然と眺め、彼はこのラウスブルグから、完全にその姿を消した。




「ギアン…」

淡い桜色のヴェールをまとった少女が、窓辺に立っていた。
憂いを含んだ瞳が、いま外界へ降りていくものを、小さな光として捉えた。
その光が彼の魂の輝きであることを、少女は知っていた。

ギアンは悪いひとだ。
ひとが傷つくことを、苦しむことを、
平気な顔でたくさんしたひとだ。

なのになぜ、その魂の放つ光が美しいのだろう。
なぜあんなにも、哀しいのだろう。
他の誰とも、何も、すこしも変わらない、命の光。


ラウスブルグの夜と昼は、いまトレイユの街と同調している。
だからいまはここも、同じ夜明け前。

エニシアは天を仰いで、涙を堪えた。

「約束、守ってるよ……」

はじめての友の顔を思い浮かべ、少女は祈るようにその名をつぶやいた。

終