宿場町トレイユ。
この街唯一の武器屋は小間物屋も兼ねており、小さいながらも、いつも冒険者や旅の者たちで賑わっていた。
「よう、フェアんとこのお客人じゃねえか。いらっしゃい！」
いかつい顔をしたヒゲの中年、つまりこの武器屋の店主が、長身の若者に声をかけた。
「はあ、こんにちは」
若者は愛想良く笑った。身なりは一見吟遊詩人風に整えてあるが、若者が単なる旅芸人でないことは、ここの店主も見抜いていた。身のこなしが、ただ者ではない。
目立たぬよう腰に下げられた刀は、相変わらずよく手入れされている。
「それで、例のモノはもう入荷されてますかねぇ？」
「はは、お客人。そんなにすぐには無理だな。ここは帝都と違って、小さい街なんだぜ？」
自信たっぷりに未入荷を誇る店主に、若者は苦笑するしかなかった。若者は、名をシンゲンと言った。彼は自分の商売道具である三味線の、その弦を探しにここへ来ていた。三味線はシルターンの珍しい楽器だ。弦は消耗品なのだが、向こうとは勝手が違うせいか、手に入れるのはなかなか骨の折れることだった。
「はあ、さいですか。ではまた後日、顔を出してみますか」
「ああ、心配するな。必ず店に入れてやるよ。フェアにも熱心に頼まれちまったことだしな」
「…御主人が、ですか？」
シンゲンは驚いたように言った。
「おう、あんたがウチに来た日の夕方、あいつもやってきてな。自分とこの客が三味線の弦を探してるんだけど、見つからないみたいなの。おじさんの店でなら、何とかならないかな？…ってな」
「そうでしたか…。ありがたいことですねぇ、はい」
シンゲンはどことなく照れたように頭をかいた。
「ああ、ほんとによくやってるぜ。まだガキのくせにな」
言いながら店主は奥から小さな包みを取り出して、シンゲンに向かってそれをひょいと放り投げた。彼が反射的につかみ取ったのを見て、店主はにっと笑った。
「やるよ」
「は？」
包みからは体力の回復に効き目があるという、ジュウユの実特有の甘苦い香りが漂っていた。
「無駄足させちまった詫びだ。まあ、とっておけ」
「――よろしいんですか？」
「遠慮するな。あんたも、あちこち怪我が絶えねえみてえだからな」
もっともあんたのその腕なら、そうひどい傷を負うとも思えないがね。武器屋の主人はシンゲンを一瞥して言った。
「あんたも、と言いますと……」
「ああ、フェアも、だな。…あのガキ、来る度に生傷を増やしていやがるし、宿屋の雇われ店主の分際で、ここしばらくの間に、ウチの一番の上得意よ。妙だと思わねえほうがおかしいだろう」
俺もこんな商売をしてるから、噂もいろいろと聞いているが、あいつはこの街のもんには妙な遠慮があって、頼りたがらねえからな。店主の親父は、ちょっと考え込むように言った。
「ご好意、ありがたく頂戴いたします」
シンゲンは心から店主に礼を述べて、店を出た。
空はもう、夕暮れが始まっていた。
通りを歩く人はどことなくみな急ぎ足で、客引きの声だけが、辺りに騒がしく響いている。
「シンゲン！」
耳慣れた少女の声が、雑踏の中から飛び込んできた。フェアだ。彼女は人の波を器用にすり抜けて、嬉しそうにシンゲンに駆け寄った。
「御主人…」
「ひょっとして、いま帰り？」
「ええ。ですが、御主人は？」
普段なら、フェアは夕食の準備で大わらわの時間帯だ。彼女はその疑問を察して答えた。
「シンゲンを、迎えに来たんだよ」
「自分を、ですか？」
涼やかな笑顔に、シンゲンは自分の心が一瞬躍るのを感じた。
「うん、今日の夕飯はお鍋だから。鍋物はやっぱり、みんな一緒のほうが美味しいでしょ？」
「あ、なるほど。そうでござんしたか」
なんとなく残念そうな声に、フェアは不思議そうにたずねかえした。
「あれ？もしかしてシンゲン、お鍋、食べたくなかった？」
「いえいえ、そんなことはございませんよ。御主人のゴハンは何をいただいても、絶品でございますから♪」
「あはは、そう言ってもらえるのは嬉しいけど、実は今日のゴハンは、ミントお姉ちゃんと…あとアルバが手伝って作ってくれてるの」
「ミント殿とアルバ殿が、ですか…？それはまた、めずらしい組合せですねえ」
「うん。ミントお姉ちゃんを夕食に誘ったら、たまには自分にごちそうさせて？って言ってくれたの。なんだか、かえって悪いことしちゃったかも」
フェアはそう言って、自分の左肩をそっとさすった。
「お昼の営業もお休みにしたし、洗濯や掃除なんかも、みんなリュームやリシェルたちがやってくれて……。今日は一日、ほんとゆっくり休ませてもらっちゃったよ」
先日の戦闘で、フェアはめずらしく大きい怪我を負っていた。狂血の呪いによって暴走した獣皇の爪を、彼女はまともにくらってしまった。もちろん召喚術や薬である程度の治療は施したが、完全に癒えるまでは、なるべく患部を動かさないのにこしたことはない。フェアは治療を受け持ったリビエルから、「今日一日、絶対安静」の厳命を受けていた。
じれったそうに口を尖らせている少女に、シンゲンは軽く尋ねかけた。
「落ち着きませんか？何もせず家にいるのは」
「……うん」
「まぁ、とはいえ、御主人はいつもお忙しいですし。たまには思いきって骨休めなさるのも、いいんじゃないですかねぇ？」
「そんな、わたしばかり休んでいるワケにはいかないよ！ 仕事はともかく、またいつギアン達が攻めてくるかわからないのに！」
「心配ぐらい、させておあげなさい」
シンゲンは優しく言って、フェアを見つめてにっこりと笑った。
「シンゲン……」
「みんなね、あなたが心配なんですよ。自分たちが甘えてばかりだから、あなたにも甘えて欲しいと思うんです。だからまぁ、ここは人助けと思って、遠慮せずに、甘えてあげればいいんじゃないでしょうかねぇ」
「………」
「きっと、喜ぶと思いますよ」
染み渡るような声を、フェアは素直な気持ちで聞いていた。
シンゲンの言葉は不思議だ。すごく優しいのに、聞いていると楽になれる。余計な気を使わずに聞いていられる。それは彼自身がいつも飾らず、自然体だからなんだろうか。そんなことを思いながら、フェアは小さく愚痴をこぼした。
「うん…。でもさ、何にもできないのって、けっこう退屈なんだよ…？」
「はははっ、でしたらしっかり食べて、ゆっくり休んで、早く怪我を治されるしか手はないでしょうねぇ」
シンゲンはそう言って、武器屋の主人から受け取った包みを少女に手渡した。
「これ…。ジュウユの実？」
「ええ、そのようです」
「ずいぶんたくさんあるけど…どうしたの？ ――まさか！一日で、こんなに買えちゃうほど、路銀が稼げちゃったとか！？」
心底意外そうなフェアに、シンゲンは苦笑しながら言った。
「さらっと厳しいこと、言いますねぇ…」
「あ、ご、ごめん…！」
「それは武器屋のご主人から。いつも贔屓にしてくれる礼、だそうですよ」
「……武器屋の、おじちゃんが？」
フェアは包みをまじまじと見つめて、ちょっと考え込むように俯いた。
世話になっているのは、どう考えても自分のほうだ。無理な注文やくだらない質問にも、いつも親身になって応えてくれる。強面で口は悪いが、笑顔はちょっとだけ優しい、無骨なヒゲ親父の顔が浮かんだ。
フェアが困ったようにシンゲンを見上げると、彼は優しげに微笑んでいた。
甘えておあげなさい。そんな声が、聞こえた気がした。
「……ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして♪」
「あはは。おじちゃんにも、今度お礼言わなきゃ」
シンゲンはそれが返事の代わりとでも言うように、明るい三味線の音色を響かせた。少女との帰路が終わってしまうのを、少しばかり名残惜しく思いながら。すぐ目の前にある細い坂を上れば、楽しい我が家が、仲間達が待っている。
「おおーい！おせえぞ、シンゲン！！」
庭先からリュームが、力一杯両手を振っているのが見えた。
「はやくこないと、あんたたちの分、なくなっちゃうわよー！？」
隣にはリシェルが、相変わらずのキンキン声で叫んでいる。その右手にはお玉、左手には小鉢がしっかりと握られていた。
「おや、どうやら準備は万端のようですねぇ」
「あはは、急ごうか！」
そう言って軽く駆けだしたフェアの後を、シンゲンはやれやれと追いかけた。そういえば三味線の弦の礼を、すっかりしそびれてしまったな。美しい夕焼けの中、そんなことを思いながら。
終