天鳥船の食堂に賑やかな談笑の声が響いていた。
大勢の兵士が仲間たちと思い思いに食事を口に運んでいる。その片隅で豆茶をすすりながら、柊が言葉をもてあそぶように言った。
「――性分なのでしょうね。君は昔から、自ら進んで貧乏くじを引きにいくようなところがありますから」
「そうですか？ 俺としては、別にそんなつもりはないんですが。……ああ、忍人。お茶をもう一杯どうだい？」
茶瓶らしきものを手に、風早がのんびりと微笑む。
「ああ、いただこう」
「はい。熱いから気をつけて。柊、あなたはどうします？」
「私はもう結構です。ところで風早、道臣のところへ行かずに良いのですか？」
「ああ、そういえばそうでした。もうそろそろ戻っているかな……」
手慣れた様子で自分の器に茶を注ぎ、風早はぼんやりと言った。他人事のように取り澄ましている柊に向かって、忍人がうんざりと口をひらく。
「自分のことを棚に上げ、貧乏くじなどどよく言えたものだな。それは風早でなく、お前がすべき――」
「え、貧乏くじ？」
少女の声が響いた。食事の乗った盆を手に、千尋が後に突っ立っている。そのどこか頼りなげな姿を認めて、風早は呆然となった。
「千尋！？ どうしたんですか？」
「あ、ごめんなさい。話の邪魔をしてしまって」
「いや、それは構わないが。……しかしなぜ、君がここにいる？」
「え、あの、」
むさ苦しい男の集団に、彼女の黄金の髪はひときわ目立っていた。突然食堂へ姿を現した姫君に、兵士たちが色めき立っている。忍人は彼らに厳しい視線を送りながら、重苦しく尋ねた。
「君はたしか俺たちとは別に、自室で食事をとることになっているはずだが。――まさか供もなく、ひとりでここまで来たのか？」
「それは……」
「嫌ですねえ、忍人。その強面でそう矢継ぎ早にお尋ねしては、姫が怯えてしまうでしょう。さぁ我が君、どうぞ私の隣へ。姫は兵士達の食事にも、関心がおありでしたか。素晴らしいお心遣いですね」
すかさず千尋を隣に招く柊を見て、風早が困ったように笑う。
「だったら、俺にひとこと言ってくだされば良かったのに。ああ、すぐにお茶を淹れますね」
「うん、ありがとう」
「風早、やはり私もいただきましょう。姫がいらしたとあっては、ぜひともご相伴に与らなくては。お許しくださいますね、我が君」
「え……う、うん」
「はいはい。二人とも、少し待っていてくださいね」
のほほんと風早が答える。このなし崩しの展開に唖然として、忍人がひとりいきり立った。
「風早、まさか君までここで彼女に食事を取らせるつもりか？」
「困ったな……いけませんか？ でも、せっかく取ってきた食べ物を残してしまうのも、もったいないだろう？」
「食事がもったいない、というのんきな問題ではないだろう！」
「……忍人さん、ダメですか？ 私もここで、みんなと同じものを食べたいと思ったんです。そのほうが、きっとみんなの気持ちもわかるし、それに仲良くなれますよね？」
「何を馬鹿なことを……。君は、まがりなりにも大将軍の立場にある。仲良くなりたいなどという理由で、気ままに動かれては――」
「大将軍の立場だと……一緒にご飯を食べてはいけないということですか？」
素朴な疑問に、柊がわざとらしく首をかしげる。もちろん彼は神子の味方だ。
「そうですね……。ですがその理屈だと、ここで天下の葛城将軍が食事をされているのも妙な話、ということになりましょうか。これは困りましたね、我が君」
「俺と姫では立場の重みが違う。そんなこともわからないのか？」
「それは……」
うつむく姫を内心痛ましく思いながら、柊は妖しげな笑みを浮かべて言った。
「ええ、まったく。葛城将軍のおっしゃる通りですね。――我が君の望みは、何よりも尊いもの。従者は何を差し置いても、主の願いを叶えるべきでしょう」
「……え？」
可愛らしく首を傾げた主に気付いたが、軍師は笑みを崩さず続けた。
「君も少しは察しがよくなったようで嬉しいですよ、忍人」
「――。相変わらず、よくまわる舌だな」
王族の姫君が一般の兵士と共に食事をするなど、彼の常識では考えられないことだ。だがその常識が肝心の姫にすら通用しない。将軍は苦悶の表情で尋ねた。
「二の姫、君の気は確かなのか？」
「？ ……そんなにおかしいですか？」
まったく悪びれていない千尋に、忍人は絶句した。風早、君はいったい姫にどんな教育をしたんだ。そう思って見ると、彼はとっくに姫のための茶を淹れ終わって、どこかのんきにことの成り行きを見守っている。
「……ああ。いや、もう何を言っても無駄だろう。――君の好きにすればいい」
「ありがとうございます、忍人さん！」
「俺に礼を言う必要はない」
「ふふ、本当によかったですね。無事に将軍のお許しも出たようです。それでは姫、さっそくお召し上がりを。質素ではありますが、船の中の限られた施設と食材で用意できるものとしては、なかなか良く考えられた食事ですよ」
「うん、おいしそうだね。いただきます！」
とたんに上機嫌で説明をはじめる柊の声を聞きながら、忍人はうんざり顔で残りの茶をあおった。
＊＊
姫は食事の手を休め、どこか言いにくそうに尋ねた。
「――ところでさっきはみんなの話を中断させてしまったよね。貧乏くじって、何のことなの？」
「ああ、そのことなら気にしないでください。ただの雑談ですから」
風早が穏やかに答える。
「そうなんだ？ でも……」
困ったように眉根を寄せた主に気付いて、柊が柔らかく尋ねた。
「おや、何か気がかりなことでもおありですか、我が君？」
「気がかりというか、なんとなく、その……。みんなに貧乏くじを引かせているのって……私のような気がして。変なことを言っていたらごめんなさい」
少女はそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。風早が心底驚いて口をひらく。
「なにを言っているんですか、千尋……！？」
「でも、私。みんなにはいつも、いろいろ面倒をかけているし――」
「――自覚はあるのか」
忍人の嘆きにはまるで気付かず、風早は困ったように続けた。
「本当に何を言っているんですか。面倒だなんて――これまで俺は、そんなこと考えたこともありません。千尋の気にしすぎです」
「まったくですね……。我が君、風早の貧乏くじは、もうどうしようもない性分というものですよ。ですからそんなふうに、悲しいお顔をされるのはおやめください。あなたには何の罪もないことですから」
「……あれは、風早の話だったの？」
「ええ、姫もご存じでしょう？ 風早は人が好く、誰に対しても分け隔てなく親切なところがある。しかもその結果、時には自分が泥をかぶることとなっても後悔する様子もない。これは彼の素晴らしい美点のひとつですね。…と、先ほどはそういった話をしていたのですよ」
「そうだったんだ……。でも、確かに風早には、そういう苦労性っぽいところがあるよね」
千尋がなんとなく納得して頷く。
「そうですか？ まいったな。本当に、俺にはそんなつもりないんですが。……それにしても柊、あなたに誉められるのは、なんだか気味が悪いな」
「おや、私は事実を口にしたまでですよ」
誉めたつもりはありませんが。柊の内心の声が聞こえて苦笑する風早に、忍人が冷静に突っ込む。
「確かに人が好すぎるな」
「忍人……」
「俺が見る限り、風早が引き受ける面倒事には……柊、今も昔も、大部分お前が関わっていたような気がするが」
「これは……心外ですね、忍人。あなたにはそんな風に見えていたんですか。先入観に囚われていると真実を見誤る、いい見本ですね」
「真実だと？ どの口が――」
侮蔑に満ちたまなざしに、柊が余裕たっぷりの笑みで応える。静かに火花を散らす二人に千尋が驚いていると、すぐにやんわりと彼らをなだめる声が響いた。
「まあまあ二人とも。姫の前ですから、けんかは止めてください。――千尋、お茶のおかわり、ありますよ」
「あ、うん。じゃあ……いただこうかな」
「はい、すこし待ってくださいね」
風早はおっとりと笑った。
兵士達が食事を終え、食堂には空席が目立ち始めていた。
「そろそろ昼食の時間も終わりですね。忍人達も、もう一杯どうだい？」
「結構だ。俺は先に――」
失礼する。そう言って忍人が席を立とうとしたとき、突然、陽気な声が響き渡った。
「おーい姫さん！ こんなとこにいたのか。ちょっといいか！」
「サザキ？ どうしたの？」
サザキは人なつっこい笑顔全開で、地面を蹴って浮遊しながら、賑やかに千尋の元へやってきた。
「いや、あんたが忙しくなけりゃ、菓子でも一緒にどうかと思って、さっきから探していたんだが。あー…でも、ここにいるってことは、飯を食ったばかりってことだよな。いやー遅かったか。残念だぜ」
「うん。でもお菓子って……。もしかして、カリガネの？」
千尋が関心をしめすと、サザキはにっと笑って、嬉しそうに続けた。
「ああ、新作だ。オレはさっき食ってみたが、これがまた……ほっぺが落ちちまいそうな出来だったぜ。どうだ、姫さん、食いに来るか？」
「うーん……どうしよう。でも……」
正直なところ、食事の直後でもうお腹はいっぱいだ。けれどあのカリガネの新作を食べのがすとあっては……。菓子ひとつに真剣に悩む千尋を見ていると、まるで普通の娘と変わらない。忍人は苦笑して、内心こっそりかぶりを振った。
「そんなに気になるのならば、行ってきたらどうだ？ 君の食欲に問題はなさそうだ」
「忍人さん……？ それ、どういう意味ですか？」
「気を悪くしたならすまない。なぜかそう感じたんだ。他意はない」
忍人が他意はないというなら、本当にないのだろう。そう感じつつ、しかしなんとなく微妙な表情をしている少女に、風早がお茶を差し出して言う。
「そうですね……。デザートは別腹、という言葉もありますし。せっかくですから、ご馳走になってくるのもいいかもしれませんね」
「そうか……うん、そうよね？」
「ああ、あんたが来るならカリガネや、野郎どもも大喜びだしな。気が向いたら、ぜひ顔を出してやってくれ。ま、あんまり遅くなると、菓子はなくなっちまうかもしれないが……」
「え、そんな！？」
「はっは、心配すんなって。菓子はなくても、姫さんならいつでも大歓迎だ」
サザキは豪快に笑って、くるくる変わる千尋の反応に、楽しげに目を細めた。
「もう、サザキは冗談ばっかりなんだから。でもお菓子はともかく、ちょっとみんなの様子は見にいこうかな。風早も一緒に行かない？」
「はい。……と言いたいところですが、俺はこれから用がありますから。遠慮しておきます」
風早は心から残念そうに言った。
「用事……。何か急な用なの」
「ええ、道臣と話があって朝から何度か訪ねているんですが、どうも間が悪いらしくて。まだ会えずじまいなんです」
「そうなんだ……。もしかして、私も一緒に行ったほうがいいかな？」
そう言って一瞬姫らしく表情を引き締めた千尋に、風早は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。ですが、俺ひとりで大丈夫だと思いますよ。彼らも出雲についたばかりですし、こちらとの摺り合わせを密にしたいと考えているのかも知れませんね」
「……そうなの？」
「ええ、先生は万事があの調子ですから、その代わり道臣が細々と動いてくれているのでしょう。話の結果は、あとでご報告しますよ」
なんとなく残念そうな姫を眺め、柊が悪戯っぽく口を挟む。
「道臣は慎重な男ですね。まったく彼らしい、ここはそう言うべきでしょうね」
「でも、だからこそ彼の仕事は確実で、安心できます。千尋、心配はいらないと思いますよ」
「うん。じゃあ風早……お願いね？」
「はい。では、行ってきます。そうそう千尋、いくらカリガネのお菓子が美味しいからといっても、食べ過ぎないように。お腹を壊します」
「もう！ 子どもじゃないんだから、お腹を壊すほど食べたりしないよ！」
「はは、すみません、つい心配で。すぐ戻りますから」
白い背中が食堂から消えたのを見計らって、忍人が席を立った。
「では、俺もこれで」
「え？ 忍人さん。よかったら忍人さんも一緒に、どうですか？」
「おう、育ち盛りが遠慮するなよ。ここも人が増えたし、試作とはいえ、カリガネも多めにこしらえると言っていたから、お前らの分ぐらい――」
「…………」
「ん？ どうした？ んな怖い顔して」
忍人の表情が急に険しくなった気がして、サザキは首を傾げた。柊が可笑しそうにもったいぶって言う。
「確かに忍人は、ある意味育ち盛り……と言えないことはないかもしれませんね。せっかくの姫のお誘いです。たまにはどうですか、忍人？」
「兵の訓練をみる時間だ。姫、御前を失礼する」
「あっ、忍人さん！？ ……行っちゃった」
まっすぐ伸びた背筋が、振り返りもせずに遠ざかっていく。落胆する千尋に、柊が声をかけた。
「まったく、彼にも困ったものですね。……おや、どうしました我が君。あなたも、ずいぶんと険しい顔をなさっておいでだ」
「柊が、そうやって忍人さんをからかうからだよ？ どうして仲良くできないの？」
「私のせい……ですか？」
責任感に燃えて詰め寄ってくる姫に、柊はさも楽しげに尋ね返す。退屈そうにサザキが首をひねる。
「おいおい姫さん。気持ちはわかるが、そりゃあいいがかりってもんだ。あいつは兵の訓練があるって、はっきり言ってたじゃねぇか？」
「そ、そういうことじゃないよ、サザキ？ 私がいいたいのは……」
「はっは。ま、姫さんはまだ子どもだからな。男のつきあいってもんが、よくわからなくても無理もねぇ」
サザキはそう言って自分だけ納得すると、羽を広げ力強く地面を蹴った。まるで重さを感じさせず、彼の身体がふわりと宙に舞う。
「えっ、待って！？ サザキはどこへ行くの！？」
「オレはぱーっと行って、姫さん以外の連中にも声をかけてくるさ。あんたを独り占めすると、ごちゃごちゃうるさい連中もいるしな。じゃあな！ 食いっぱぐれたくなければ急げよ！」
あっという間にサザキの姿は見えなくなった。
「――さて。どうされますか、我が君？」
「柊はどうするの？」
思いのほか嬉しそうにしている柊に気付かず、千尋はなにげなく尋ねかえした。
「寂しいですね……。風早や忍人はお誘いになったのに、私だけお誘いいただけないとは。あなたに疎まれてもしかたのない身とはいえ、あまりの寂しさに胸が潰れてしまいそうです……」
「大げさね」
千尋は苦笑して言った。
「カリガネのお菓子は、すごく美味しいんだよ。よかったら、柊も一緒に行こう？」
「御意――」
柊は幸せそうに微笑んで、恭しく胸に手をあて、頭を下げた。